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【議事録】2024年度第7回真山ゼミ 〜『フェイクニュースを防止するために、知る権利と表現の自由を制限するべきか』〜

10月ゼミ議事録 2024/10/13

参加者: Aさん Bさん Cさん Dさん Eさん Fさん Gさん Hさん

フェイクニュースを防止するために、知る権利と表現の自由を制限するべきか

自分達のフェイクニュース体験
Aさん
日経調査報道「中国から、琉球独立のデモが日本各地で起きている」という偽情報。
発信源が少なくても、拡散してしまう。
画像がフェイク(何年も前の画像・別の事件や出来事の画像)でも、インパクトがあるので拡散してしまう。
画像という視覚的要素と、受け手による拡散の二要素で広まっているのではないか。

Gさん
コロナのワクチンに関わるニュースが印象的だった。
調べてみると、どちらにも有利に働くような根拠となる文献がある。

Eさん
公的なフェイクニュースにだまされた、という感覚はまだない。
会社内で噂を流される。どんどん広まってしまう。

内容が面白ければ真偽を問わず流されてしまう。

真山先生
否定したのか?

Eさん
自分の知らない所で広まっていた。

Dさん
まゆつば
文末に「!?」、「なのか!?」 のようなタイトルに

Hさん
総裁選 高市早苗 Youtube上で高市早苗推しの環境が出来上がっていた。
本当にずっとそれだけ見ていたら、染まってしまいそう。
本当のフェイクニュースは、自分がまだ騙されたことに気づいていないと思う。

Cさん
ワクチンもそうだが、
捕鯨 意見なのに意見っぽく書かれていない。自分で調べてみると事実ではなかったということがあった。
BBCのような大手でも、「その人たちが自分の意見を言っているだけ」という事実を単にそればかり載せてしまう→かなり誘導的
このような記事が出てしまうのはフェイクニュースにつながるのではないか。

Bさん
はっきりフェイクにだまされたという感覚はない。
膨大な情報を話半分に聞いているのかも

原発3.11 放射能レベルが問題ないときに広島(福島?)に行ったというと驚かれた。

ひろゆきが「アルプス処理水が生物濃縮する」と発言し、
原発だとだます意図と言うより、不安から出てきてしまっている?
イデオロギーの対立から出てくるのか?

Fさん
インフルエンサーの対立。それに伴うファンの対立。
ファンがインフルエンサーの発言を無条件に信じて拡散してしまう。
インフルエンサーの意見と事実の区別がつかずに広まっていく。

真山先生
それぞれに質問、意見など自由に。
フェイクニュース:
故意かそうでないかを分類した方が良い。動機、騙してやろうという意図があるかどうか。
ワクチンや原発は騙してやろうというより、本当は怖いものだから少しくらい疑っていこう気持ち。

悪意を持ったフェイクニュースを見抜けるようになった方が良い。
グレーゾーンのフェイクニュース。(インフルエンサーの例など)→多様性を認められれば問題にならない。キリスト教とイスラム教など

なお、「宗教戦争」と呼ばれる戦争の多くは宗教のみが原因ではない。
石油が取れるところは宗教戦争が起こりやすい。石油の採掘権を取れれば儲かる。宗教戦争と名をうって、石油の採掘権を奪おうとしている。
すりかえ:善意と悪意の瀬戸際。

悪意をもったニュースを見抜こう
騙されていることに気づかない、というのが本当に悪意のあるフェイクニュース

フェイクニュースは、ターゲットがいる
「政治家Tはホワイトハウスと密約を結んでいる」などとされると、真偽の判断は難しい。

例えば「朝日新聞によると」とされたら?朝日新聞のマークが題されていれば見抜けない。

フェイクニュースを見抜くには現代社会に対する知見と、滅多なことには信じない、常に疑っていくというスタンスが必要。
大半の国民は、ニュースを「また中国が言っているよ」と言う感じで流している。そこに漬け込んでくるニュースが、いま最も怖いのでは?

意見に根拠をつけられると、信じてしまう。
統計をつけられるとだまされてしまう(日本の総研のクライアントは国や大企業)
例(JT):「タバコよりも、自動車の排ガスの方がはるかに発がん性がある」など

たいていのフェイクニュースは、「本当かも」という話が背景にある
例えば中国のサイバー上の拡散で、沖縄の独立の話があったが、これは、沖縄のジャーナリストも現地では独立しよう、という声があるという。

沖縄が琉球になると日本にもメリットがあるという意見もある。
沖縄に莫大な補助金を注ぎ込んでいる、アメリカが沖縄を守る理由は日本を守るためではなく、中国ロシアに睨みを効かせるためだから沖縄から撤退することはない。

「沖縄独立」というのを本気で考えている人の割合は少ない
そこにフェイクニュースが広まる要因がある
つまり、多数決では勝てないような人がフェイクニュースのターゲットになりやすい。

ワクチン 実際に死んだ人がいる(事実)
新型コロナの場合は、治療薬がなかった。→予防するしかない。ワクチンが全て。

パンデミックの際は、ワクチンを突貫工事で作ることになる。そうすると、当然副作用で亡くなるリスクは通常より大きくなる。それ「誇張」をする人がいる、それは本人の善意から生じることも多い。

原発もリスクはある。各電力会社は安全対策は公開しているが、絶対安全とは言っていない。放射能は見えない。
人間は最後に自分が「みたかどうか」が重要。

嘘をつくつもりも、誰かをだますつもりもないが、そこが厄介
反ワクチンの人も、その主張が正しいと思って行っている
これだけだと、フェイクだとは断定しきれない

ただ、これにデータなどをつけると、フェイクニュースになる
例:福島の甲状腺がんのフェイクニュース

面白いから皆がひろめだす。→本人が否定しないと、「本当だ」となっていく
嘘からでたまことになる。
SNSだと突飛な発言に対してわざわざ反応して否定するのは馬鹿らしいという空気が現実よりもある。それがフェイクニュースを助長するのではないか。

ファンや宗教を信じている人が「その人が言っているから」と信じてしまうケース

少数意見が絶対的な真実のように誇張する→陰謀論
政治家のような人も陰謀論を唱える。

→なぜか。飛びつきやすい。その方が安心できる
「ディープステイト」が動かしていると思えば、それ以上闘う必要が無い
抗えない力があると信じることで、諦められる、頑張らなくてよくなる。

フェイクニュースに対抗するためには二つ
①答は一つでないと心得ること
②分からなくなったら、他にも答はないか探すこと

不安な時ほど、何かを信じやすい。気をつけなければいけないタイミング。

Cさん
・日本人は多数派を信じやすい
・特定の有名人や宗教での意見を妄信してしまうケースは日本ではそれほど影響ないか。
・海外から流された噂が、嘘から出た実となって広まってしまうことがこわい

Aさん
・多数派が知らないことを知っている、と優越感を感じる人もいるはず
・自分が多少知っている分野なら、偽情報が生まれ広まるメカニズムっぽいものも分かるかもしれない。そうでない分野は難しい。

Hさん
昔はマスコミや政府・大学への信任が高かったのになぜそこから今は信頼度が下がったのか?

Cさん
単純に情報の量では?昔はマスコミや政府からの情報しかなかった。
今は情報源が多様化、個人も発信できるから、相対的にマスコミや政府からの情報への信頼度が下がった?

Hさん
逆に、量が増えたら、権威がほしくなるのでは?
量だけでなく、マスコミ・政府・大学にも問題がある気がする。

真山先生
きっかけは2011年ではないか
2011年 原発 SNS
原発:原発事故は起きない、とは言わないが、原発事故は起きませんというムードはあった。被曝国であることから、1980年代までは、核を使った発電をすることすら大反対のムードがあった。朝日新聞は原発にずっと反対していた。100%安全じゃないのに、被曝国が核を使った発電大国になって良いのか?という考え。

1990年代に、それを掲げるのはやめた。(本音は、広告収入だった)

原発事故後、国民は「安全だと言ったではないか」と、政治家、官僚、マスコミを批判した
問題だったのは、ちゃんとリスクを説明していなかったこと。事前にリスクを説明した上で、以前にこういう説明をしましたよね、と言えなかったことが問題。まさか事故が起きると思っていなかったので、原子力発電のリスクを説明せずに安全という空気を流していた。

水蒸気爆発が起きると原子炉が割れる。こちらの方が怖い。
大体、事故から72時間くらいで起きる。これは実際起きなかった。たまたま、原子炉が偶然、爆発がおきないタイプ

原発の設計を行うのはアメリカ。新型の原発をつくると、事故を起こす実験を起こす。(in砂漠)

未だになぜ事故が起きたのかわからない。NHKは所長の責任を追及しているが、所長が亡くなったため大きく報道しなかった。権力や権威を持っている人が黙る→「何かを隠している!」となる。
3.11の3年後あたりからマスゴミと言われ始めた。→権威の失墜

原発に関わりすぎて、他の被災地への対応が遅れた など
→メディアは報じなかったが「知らなかった」

当時、携帯は震災当時、東北でつながっていなかった。
都市伝説:Twitterだけがつながっていた。
Twitter社が日本で大地震が起きたらしいから、メモリを日本に回してあげよう。

その後、一気にSNSの力が強くなった。証拠がどんどん世界に発信されるようになった。

「Twitterが正しい」という結論にリンクしてしまった

サイレントマジョリティがなぜいるか
不満がない人は基本的に黙っている。
不満がある人だけ文句を言う。
その文句を言う場所は昔はテレビの前だったが、SNSによってそれが発信できるようになってしまった。

陰謀論は昔からある。「なぜ現実そうならない?」と言われるとつぶれてしまうが、
SNSで個人的に発信できるようになると、同じような陰謀論を持っている人どうしがつながれるようになる→大人数になる、自分の考えが強まる。

ばかばかしいから、と放置して否定しないからどんどん広まっていく。

トランプが「移民が猫を食べている」と言ったとき、アメリカのメディアは事実否定の報道をした。これが出来たら、陰謀論はかなり減るが、これは日本のメディアにはできない。

日本の選挙討論会
討論で服を脱ぐなど、
公序良俗に反するという民法で止められるはず。しかし、その判断の根拠はどこだと訴えられてしまう。

中国:偽情報はかなり統制されている

Fさん
有識者の声が埋もれてしまっている。

真山先生
有識者:メディアが取り上げるから有識者として活動できる。根拠があることを発言する。

夜のニュースも、200万人から300万人は聞いている。SNSで100万にはなかなかいない。

SNSで誰も否定しないから広まってしまう。
有識者やニュースの場合は根拠がないことはそもそも発言できない。→報道されることはたいてい正しいこととして聞ける。
そのスタンスでSNSに接してしまっている?

Eさん
ある特定のテーマについて深く発信できるのが、フェイクニュースが拡散される要因では?
テレビが短時間でテーマを扱わざるを得ないのに対し、深く連続して偽情報を発信できる

正直あまり興味がある人は少ない

真山先生
どうすればいいのか?
その人は止めなくてよい。相手にしなくてよい。
でもなぜ相手にされている?

あと、新聞などXを基にしている。Xには著作権がない→自由に使える、というのがポイント
メディアは報道のバランスを取らなければならない→反対派の意見を載せるには、Xのコメントは使いやすい

Cさん
偏った意見なのに、偏った意見に見えないのが問題ではないか

真山先生
言論の自由は最も規制が難しい権利だが
Xは言論で人を殺せるので、規制はされている

問題は、受け取る側
受け取る側の期待値(「待っていた、これが正しい情報だ!」)がある以上、そう簡単にはいかない

Cさん
NHKは放送法でしばられているように、Xも規制してよいのでは?

真山先生
総務省の放送法所管の人も、内容に関して規制することは滅多にない
総務省が気にしているのは、放送会社の経営状態
ただ、「従軍慰安婦のフェイク」などはNGだろう

1:メディアは権力。人を追い詰めうる
2:世界各国で周波数が決まっている。
通信手段を握ることは、国家を握ることとイコール

Xは所詮1人→1人の行動を規制するのは難しい
放送法でメディアを縛っているが、よほどのことがない限り総務省は介入しない。それよりも、総務省はメディアの経営を心配している。そもそもNHKが根拠を持ってくるので、放送法に引っかかるようなことを報道することはない。
新聞は独裁力がないため、同様の理由で放送法のような制限をまぬがれている。

SNSは所詮、井戸端会議
口コミに過ぎないが、瞬時に広がるのが問題

Bさん
表現の自由の優先度が高いからSNSを規制することは難しい、ということだったが、災害時等条件を絞ったうえで規制すれば良いのでは?

Hさん
ブラジルがTwitterを禁止した例
いま、「あなたの言っていることは正しくない」と言ってくれる人がいない
社会的に孤立している傾向が強いということでは?

真山先生
炎上している。「正しくない」と言ってくれる人は、いることにはいる
この面白い話を潰すお前は○○側だな、となる

人間どうし面と向かうと言えないことも、140字だとヒートアップ
災害の時だけ規制をする、というのは良いが、Aさんは良くてBさんはダメ、というのができない。ネットを止めるしかない。

ブラジルが止めたのは、アラブの春でSNSがよく使われた経緯があるのではないか
→独裁国家ではSNSを規制したがる

Eさん
Xでは、AIからの情報のみを規制したら良いのでは?

真山先生
AI以外の人間からの投稿のほうが問題なのでは?サイバー攻撃はそれで防げるかもしれないが。やはり受け取る側の問題になる
結局、民主主義の問題になる。自由に発言して自由に受け取る。

Hさん
ネットで加熱したオピニオンがそのまま政治に持ち込まれる訳ではない。
政治は利害の調整だと思う
炎上して票をとれる訳ではない。

真山先生
都知事選をみているとそうでない(Cf:石丸氏)
自民党総裁選も、決勝でムードで選ばれているようにしか思えない

今は過渡期。政治が意見、民意で流されるようになってきているか。
有り得ないようないい加減な人、耳に心地よいことを、現実の世界で「その通り」と思えるようになっているのがまずいのでは

いまの救いは、SNSのブームが長く続かないこと
・ただ、選挙では、その一時のムードで4年間続いてしまう
・戦争もそう。(太平洋戦争と民衆)

Gさん
本来であれば根拠になりえないものが信頼性、信憑性の根拠になってしまっているのではないか。自分を支える根拠がないところに、SNSでは簡単に見自分と同じ意見が見つかり、それを根拠にして自分の信念にしてしまう。信念が強まるスピードが早く、似た情報が集まってきてその信念が強まってきてしまっている。

真山先生
でも、それを自覚している人はあまりいない。ほとんどの人がニュースをカスタマイズされている。新聞はよく構成されている。読みたくないものまで読まされる
興味ないものに触れるためにメディアを見るべき。

しかし、カスタマイズしないオンラインメディアは受けないだろう。
興味を持ってもらえなければ読んでもらえない。

Cさん
最低限できるのは、広告の機能などについてパーソナライズする設定をoffにする等、技術の使い方・デメリットなどを教える、など?

真山先生
カスタマイズをやめてしまっても、見出しでえらばれてしまうのでは?

Dさん
解決策は教育に行き着くのでは
情報発信側を規制するのは難しいため、読み手側のリテラシーが重要なら、教育で変えるしかないのでは。

Hさん
多くの人が動く理由は、それに対する憧れやかっこよさ
教養がカッコイイというムードを広められたら
みんなの虚栄心に火をつけられたらよいのかも
というようなものを新聞社もすっていく(日経はうまい気がする)

真山先生
教養は中和ではない。
イスラエルがなぜガザの子どもを攻撃するのか?→聖書(解釈?)が原因。

背景をしることが教養。新聞は、あなたが意見を持つための事実確認などをするための「道具」。
新聞が意見を言えるのは社説だけ(そこでも意見は抑制的)
あなたが考える判断をするためのツール

新聞を見出しだけでも見て、自分はこれを調べよう、というきっかけ作りにすれば良いのではないか。新聞は参考書でもなく、資料に過ぎない

新聞を読まないくせに非難するのは良くない。
「知らないのに発言するのは恥ずかしい」という気持ちは重要
その気持ちがないとSNSで「皆が怒っている、私も怒ろう」となってしまう。

「なぜだろう」を問えなくなったのは、教育の影響が大きい
好奇心がなければならないところが、点数を取るための教育に変わっていった

Eさん
嘘を言っている人
・無知で嘘を言う
・知識をもっているが嘘を言う

真山先生
後者は悪意のフェイクニュース発信者だから

新聞は毎日発信する。事実を追える。
テレビ・新聞の報道に嘘はほとんど無いが、あるとすれば、取材できなかった・隠されている部分。そこがたちが悪い

丁寧に伝えることが大切だが、発表者が隠すこともある

メディアが深く追求してから記事にすることができなくなったのは、
・時間に追われてしまっている
・SNSに先に走られる→とりあえず答を出しておくしかない

「白黒つけるのはやめ、様子見をする」ことが大切では。いまはすぐ答を出そうとする

新聞は万能ではないが、新聞を読んでから批判して、という。
無駄な時間を使うこと。それで納得できるところまで行けるはず

嘘を信じると損をする、と思わないといけない

加藤
メディアの弱いところ
自分は「騙されまくってきた」と思っている派

マスメディアが啓蒙しなくなった
SNSは「これに興味ありますよね」を前面に出す

テレビ:3日後には重要性なくなるような報道も
新聞:前提知識を持っていないとわからない報道なのに、そこを言わない

真山先生
むかしの新聞社、年に何回かキャンペーン
足元にはいつでも特ダネ
投書に寄せられた車椅子利用者の不満「違法駐輪」→キャンペーン
違法駐輪する人、駅に取材をしにいった

「障害者を守ろうキャンペーン」をずっとやっていた

大阪の記者:ユダヤ人とは何も関係がないはずなのに「アウシュビッツを全国に広めるキャンペーン」をやった

このように、社会問題を流行らせよう、という動きを新聞社は割とやっていた
いまの新年特集は、一人の記者がかかないので意味がわからなくなってくる

・なぜやらなくなったのか、と聞くと記者たちは「やっている」と言う
→業界から反発される

感情を誘うような記事が増える傾向にある。現実を淡々と伝えれば感情につながってくるはずだが、そうではない

いまは「妙なことはしたくない」(例:かわいそうな障害者という図式に対する抗議がくる)

感情だけがみえてしまう記事

Cさん
ハラスメント社会:センシティブな話題を問題提起できない。むしろ、その主戦場がSNSに移ってしまった。
書く側が恐れてセーブしてしまう。この強迫観念のようなもので情報が押さえられてしまい、フェイクニュースにもつながってしまう。

真山先生
メディアは語尾が誤魔化している。「警視庁によればーーーという。」「でしょう。」
「誰かが言っている」を記事にしているので仕方ない

Cf:安倍晋三がなぜ人気だったのか→断言する
SNSも断言口調

だが、断言しないと「嘘だろう」と言われてしまう

Cさん
メディアが強く反論できないのか

真山先生
断定して記事にしているのは半分くらい
断言できるのは「天皇は8月15日に玉音放送した」しかない
天皇の心情は推測。日記にあっても「^~~~とある。」
読解力の問題。読者も普段から読んでいれば「踏み込んだ」と分かる。

真山先生
究極の答は、「知らぬが仏」
だが、世の中・世界は動いている(例:日本はじきに先進国から転落する、など)

このゼミにいる人は「悪くなる」ことは分かっている

「悪くなる」について知りたいこと
どれくらい悪くなるか
悪くなることは自分に影響があるか

→自分に響いた一人に依存してしまう
だが、自分と全く考えが同じ人はいない
「ここはこの人と意見ちがうな」と考える癖をつけていると、その人は救われるだろう。

不安なら、不安でないようにもう少し知ればよい。
行動する人になるか我慢する人になるか決めればよいが、

知ることしかないのでは
多くの人は知らずに生きていくことになるが、ここにいる人は選択肢がある。それは幸せなことであるが、苦しいことでもある

選択肢を持てること、考えることができる人
自分の人生を選ばなければならない
幸せなことであるが、幸せではないかもしれない。

失敗しても自分で選んでいくべき。それなら後悔ない人生になるのでは。
そのための武器として情報をどう取るかは大切なのでは。

新聞:買うと負担だが、気が向いたときに何日分か読むとよい
なぜこれが一面に載るのか、ということを問うだけでも意味がある。


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