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8月32日

今朝、家の電話が鳴った。
何時もならおばあちゃんかお母さんが出るのに、誰も出ないから電話はずっと鳴りっぱなし。
うるさくて目が覚めた僕は、渋々布団から起き上がった。
ふと時計を見ると、時計の針は12時を指していた。
今日は9月1日で始業式がある日。
僕は驚いて部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。

玄関前の廊下にある電話は今も鳴り続けている。
廊下に立ち尽くしながら、ふと違和感を覚えた。
いつもならリビングから物音や家族の話し声や笑い声が聞こえるのにそれがない。やけに静かだった。
それにドアの向こうに人の気配が感じられなかった。
どこかに出掛けたのかな。
僕は鳴り続ける電話の受話器を上げた。

「あ、セガワ君。今日は僕の家で夏休みの宿題をしようよ」

それは友達の亀ちゃんからだった。
でも、今日は9月1日。
夏休みは昨日で終わっているはずだった。

「今日は始業式だよ。学校に行かないと。亀ちゃんも遅刻だよ。僕もすぐに準備しないといけないんだ」

「何を言ってるの。今日は8月32日だよ。夏休み最後の日だよ。待ってるからね。早く来てね」

ガチャっと電話が切れた。
亀ちゃんは何を言っているんだ。
8月32日なんて、あるわけないじゃん。

そう思いながら、僕はリビングのドアを開けた。
リビングには誰もいなかった。
空が曇っているせいか薄暗く、テレビも消えていて静まり返っていた。
昨日まで聞こえていた蝉の声も聞こえない。
みんなどこに行ったんだろう。
テーブルの上にはご飯も用意されていなくて、書き置きすらなかった。

僕は壁にかかったカレンダーを見た。
何か予定があれば、いつもそこに書き込まれているから。
でも、カレンダーには何も書かれていなかった。
それより驚いたのは、8月32日とカレンダーに書かれている事だった。
別のカレンダーを見ても、やっぱり8月32日と書いてあった。

夏休みが一日増えた。
素直に僕は喜んだ。
そして、僕は終わっていない漢字ドリルを持って家を出た。

外に出た時、何となく町の雰囲気がいつもと違うように感じた。

ピンポーン
インターホンを鳴らすと、すぐに亀ちゃんが出て来た。
お邪魔します。と挨拶をしながら玄関を上がると、僕の家と同じく薄暗くて静かだった。
亀ちゃんは自分の部屋がある二階へ向かった。
ギシリギシリ
階段を上がる度に軋む音がする。

「大人の人はいないの?」

「いないよ。だから、今日は思う存分遊べるよ」

「僕の家もそうなんだよね」

「今日は8月32日だからね」

「それどういうこと? カレンダーも見たけどさ、32日なんて今まで無かったじゃん。変だよ」

「いいじゃん。夏休みが一日増えたんだから。宿題終わったらさ、神社に虫取りに行こうよ」

亀ちゃんの部屋に入ると、テーブルと座布団が二つ、それにお菓子とジュースが用事されていた。
その横で扇風機がカラカラ音を立てて回っていた。

それから僕たちは終わっていなかった夏休みの宿題をはじめた。
わからないことは、お互いに助け合って問題を解いていった。

「こんなものやったって意味ないのに」

飽きたのか、亀ちゃんはそう言ってペンを投げた。

「よし!宿題はこのぐらいにしよう。神社の裏山に行こう。虫を取りに」

そう言うと、亀ちゃんは麦わら帽子を被って、虫網と虫かごを手に取った。
僕の漢字ドリルもちょうど終わったところで、亀ちゃんと一緒に神社へ行くことにした。

亀ちゃんと歩いていて、僕が感じた違和感に気づいた。

町がやけに静かなんだ。

アブラゼミもツクツクボウシの声もしないし、鳥もいなければ蝶もトンボも飛んでいない。
車も走っていなくて、人も歩いていない。
他のみんなはどうしたのだろう。
僕は少し不安になっていた。
けど、亀ちゃんはそんな事を気にすることも無く楽しそうだった。

大きな鳥居の先に何十段も続く階段があって、その上にまた大きな鳥居がある。
神社はその先にある。
境内は広くて、そこで友達と集まってよく鬼ごっこやかくれんぼをして遊んだ。
宮司さんは優しいから、僕らが遊んでいても怒らない。
そこでは夏になるとお祭りが開かれる。
露店がたくさん並んで、町の人も大勢やってきて賑わう。

随分前にお祭りは終わっていて、境内には何も残っていなかった。
亀ちゃんは、「今年こそ、カブトムシを捕まえる」と意気込みながら、本殿の周りを探し始めた。
神社には大きな立派な木がいくつも立っている。

それを見上げながら、僕も一緒にカブトムシを探した。

けど、カブトムシは疎か普段見かける虫の姿もない。
蝉だって、昨日まではうるさいほど聞こえていたのに。
唯一見つけたのは、木にしがみついた蝉の抜け殻だけだった。
それに人の気配がまるでない。
いつもなら、神主さんが掃き掃除をしているというのに。

「おーい!こっちに来てくれ。こっちこっち」

亀ちゃんの声がして振り返ると、本殿の裏庭の方から亀ちゃんが僕に手招きをしていた。

「裏庭から大きなクヌギが見える」

僕と亀ちゃんは本殿の裏に回った。

砂利が引き詰められた裏庭に古い納戸があって、隣には小さめの鳥居が立っていた。
けど、それはかなり古くて表面は錆びてボロボロ。柱は真っ黒で傾いていた。
地面を見ると、鳥居の先にけもの道のようなものを見つけた。
それは奥まで続いていて、その先の木々の間に大きなクヌギの木の一部が見えた。

「あの木なら、カブトムシがいるかもしれない」

突然、僕らの背後から風が吹き荒れた。
まるで僕らを黒い鳥居の向こう側に行かせようとしているかのように、体が前に押し出された。
さわさわと周りの木々を揺らしながら、風が唸る音がした。

それがまるで人の叫び声のように聞こえて、『行きたくない。入りたくない』と感じた。

「ここに入るのはよそう」

僕は止めた。
けど、亀ちゃんは上機嫌に黒い鳥居を潜り抜け、ずんずんと奥へ進もうとした。

「待ってよ!行かない方がいいって」

「カブトムシがいるかどうか見てくる。そこで少し待っていてよ」

亀ちゃんは振り返ることもしないで、そのまま奥へ進んでしまった。
けもの道の奥は草が生い茂っていて、亀ちゃんの姿は見えなくなった。

僕はその場で待っていた。

どれぐらい時間が経ったのか。

なんとなく黒い鳥居の先が暗くなった気がした。
日が傾いてきたんだと思った。
その時、草むらからガサガサという草を踏みしめる音が聞こえた。
亀ちゃんだと思って声を掛けたが、反応がなかった。

「おーい、亀ちゃん。暗くなりそうだから、そろそろ戻って来なよ」

僕は大声でそう叫んだ。

すると、けもの道の草むらから突然大きくて太い真っ黒な腕が現れた。
それは草木をなぎ倒しながら手をついた。
腕の大きさからして人じゃないとわかった。

僕は急いで納屋の影に隠れた。
そしてけもの道に現れたのは、大きな人の形をした怪物だった。
全身は真っ黒で、顔には大きな口と大きな目玉が四つ。
頭にも大小様々な目玉がついていて、何かを探すようにギョロギョロと動いていた。

僕は恐怖で体が震え出した。
けれど、怪物は黒い鳥居を潜ることが出来ず、こちら側に来ることは出来ないようだった。
それがわかり、僕はホッとした。

「ここでなにをしている」

突然、背後から声をかけられ、僕は驚いて体が跳ね上がった。
振り返ると、そこには箒をもった白と水色の袴を着た神主さんが立っていた。

「神主さん!!あそこに怪物がいるんです」

「怪物?」

僕は指を差しながら黒い鳥居の方を見た。
けど、怪物の姿はどこにもなかった。

「こっちは立入禁止だよ」

「友達が戻ってきたら帰ります」

「友達はどこに?」

「今、あの大きなクヌギの木にカブトムシを探しに行っているんです」

「クヌギの木?」

神主さんは不思議そうな顔で僕を見た。

「こっちにクヌギの木なんてないよ。あるのは、本殿の前にある二本だけさ」

「え、だって、あの大きな木はクヌギでしょ」

そう言って見上げたが、それまで見えていた大きなクヌギの木も消えて無くなっていた。

「何かの勘違いじゃないかな。それよりも黒い鳥居の向こう行ってはダメだよ。危ないからね。本当に、向こうにお友達は行ったのかね」

「うん」

僕は混乱しながら頷いた。

「ならば、私がその子を連れ戻しに行くとしよう。いいね、ここで待っているんだよ」

そう言って、神主さんは黒い鳥居を潜らず、どこかへ行ってしまった。

待っている間、僕は不安で仕方がなかった。

少しして神主さんが戻ってきたが、その表情は固かった。
そして、僕の顔を見て言った。

「本当にお友達と来たの? この先には誰もいなかったよ」

「え? 亀ちゃんはカブトムシを取りに行くって、確かに黒い鳥居の先を進んで行ったよ」

「そうか。なら、もう一度探しに行ってみよう」

「僕も行くよ!」

「ダメだよ。君はもう家に帰りなさい。暗くなるともっと危険だからね」

僕は神主さんに手を掴まれ、半ば強制的に階段の鳥居まで連れてこられた。

「さぁ、気を付けて帰るんだよ」

ニッコリと笑う神主さん。
けど、その目はまるで怒っている時のお父さんみたいに怖かった。

亀ちゃんのことは神主さんに任せることにした。
階段を降りようとした時、僕はふと今日の事を思い出して神主さんに聞いてみた。

今日が何日なのか。

「今日は8月31日だよ。夏休みも終わりだね」

と神主さんは言った。

その瞬間、静かだった境内に蝉や虫達の声が一斉に響いた。
ツクツクボウシの声が耳元で聞こえていて、見ると階段の手すりに止まり鳴いていた。
階段を見下ろすと、鳥居の前を自転車に乗ったおばさんが通り過ぎて、その後ろから来た車がそれを追い越して行った。
階段を降りた先の道には、通行人の姿があった。

僕は家に帰ってきた。亀ちゃんを置いて。
リビングには、おばあちゃんもお父さんもお母さんもいた。
おばあちゃんは友達の家にお呼ばれに行き、両親は親戚のお見舞いに行っていたと言った。
前の日にそう言ったでしょ。
って、お母さんは言っていたけど、僕は覚えていなかった。

カレンダーを見ると、元に戻っていた。

8月は31日で終わり。
日記を見返しても、すでに8月31日の出来事は書かれていた。

8月32日とは、一体なんだったのだろう。
なんだかとても不思議な一日だった。

亀ちゃんはちゃんと家に帰れたかな。

こうして僕の夏休みは終わった。

次の日、学校では始業式が行われた。久しぶりに会う子の中には、格好が休みの前と随分変わっていて、名前を聞くまで誰だかわからない子もいた。
みんな日焼けして元気だった。
でも、亀ちゃんだけは学校に来なかった。

その理由を、担任の先生の話で知ることになった。

亀ちゃんは死んだ。
それはあの神社ではなく別の場所で。
夏休みの最後の週に、亀ちゃんは親戚のおじさんとその子供たちと一緒に川に行った。
その川で遊んでいる最中に、おじさんの子供が足を取られて溺れた。
そして、それを助けようとした亀ちゃんが流されたって。
かなり流された先で亀ちゃんはおじさんに助けてもらえたけど、翌日病院で死んだって。
僕は信じられなかったけど、それは事実だった。

僕は日記の最後、31日の後に亀ちゃんとの一日を書いた。
亀ちゃんの家で夏休みの宿題をして、好きな漫画の話をしながらお菓子を食べて、神社で虫取りをした8月32日の事を。
けど、それを提出したら先生に怒られた。
32日なんて存在しない。
不謹慎だって。

でも、僕にはわかってる。
だから、亀ちゃんと過ごした8月32日のことは心の中だけに残すことにした。
 

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