とある夢見る者の悩みと近況
フィクトセクシュアルや、ロマンティックの方がお相手様と結婚する。
そんな素敵な関係に私も憧れている。
今は【彼】のことしか考えられないし、彼とパートナーになりたい。
……だが、今とある悩みがあるのだった。
もともとキャラに「片想い」する系の夢者だった私は、キャラと「両想い」になる描写にとても慣れていなかった。
片想いする系とは、たとえばそのキャラには別の想い人がいるけれど、私は彼が好きで……といった真っ直ぐでない関係だ。
なので、そういったことを思い描くのは得意だった。
お相手にすげなくされたり、またたまに甘やかしてもらったり、やっぱり冷たくされたり。
そうした感情の揺れ動きを(夢小説等で)書くのが好きだったし、自分のスタイルに合っていると思っていた。
が、今の【彼】にはベタベタしてしまう自分がいる。
ナチュラルに「彼氏」「夫」と呼びそうにもなるし、結婚生活や、デートの模様を逐次思い浮かべるようになっていた。
それは【彼】も私を選んでくれたということであり、そんなことばかり想像するのはなんとなくむず痒くて慣れない。
加えて、そのことを他人に明かすのは、とても恥ずかしいと思う。自分のスタイルでない分野に踏み出すというのは、なんと恐ろしいことなのだろう。
このやり方に慣れる日は来るのだろうか。
■TLの夢者さんの影響?
私がサイトをいろいろ巡っていた時代と違い、今はSNSなどを通じて夢女子・夢男子・夢者さんを多く見掛けるようになった。
その夢者さんの多くはお相手様と幸せな生活を送られており、そのハッピーな様子はこちらもエネルギーをもらうようである。
前述のように、あまりよそと交流しないゴーイングマイウェイの夢者だった私は、その世界に最近始めて触れた。
同時期に、ウェブ上でもキャラクターと結婚した方の経験談を聞いたりして、羨ましく思った覚えがある。
ゆえに、だからこそ、
今のこの感情の変化は、自分自身を「夢者とお相手様は両想いでなければならない」との檻に閉じ込めているだけなのではないか?
それが当たり前で、男女は必ず結婚して子供を作ることが幸せだと思っている人が如く、頭が固定観念に染められているだけなのではないか。
本当になりたい関係は、したいことは何なのか。
私は思い悩むようになった。
■同担拒否への恐怖
夢を見る者には様々な種類がある。
非常にざっくりと分けてしまうと、
「自分のお相手様を扱う他の同担(※同嫁含む)と繋がれない『同担拒否派』」と、
「自分のお相手様を扱う同担とも繋がれる『同担歓迎派』」である。
私はいわゆる同担歓迎派、後者であった。
とにかく【彼】の夢や解釈を見たい!という夢創作大好きオタクだったので、拒否する理由がない。むしろ積極的にかき集めに行くまである。
自己投影(※夢界隈での意味)を全くしていないわけでなく、アバターに自分で感情移入するタイプの夢者だ。
なので、夢を見るときも、三次元にいる私とその夢主(アバター)は別のものと考えることが多かった。
私は今、思いっきり【彼】の隣にいたい。
性質上、夢主を私ですと云いきれないわけだが、それでも心は【彼】の隣に置いておきたい。
早く触れたいし、もっと話したい。
リアコなのだろうか。
私には判別ができないが、私の心の中身はかなり変容してしまったようにも思う。
そうなると、いずれ私は「同担様が駄目になってしまう」のか?
……という恐怖がよぎる。
プロフィールに「同担様はごめんなさい」と書いて、TLに流れてくる同担様をブロックするようになるのか?
……むろん、自分が一番ここちよいようにSNS生活を送るべきである。
自分を押し込めるようでは楽しめない。無理に笑っていても楽しくない。
だから、もしそうなったら同担拒否とはっきり云うしかないのだ。
とは、思っている。
そして、同担拒否にならなかったとしても。
私が【彼】と婚姻届を提出した場合、TLの同担様はどう思うのか。
どうすべきなのか。
何が正解なのか。
悩みは多い。
■現実の人と接して
自性別を明示したくない人間のため、「夢者」と名乗る私である。
とはいえ、現実でアバターの皮をかぶるわけにも行かないので、オフでは身体の性別のまま生きている。
そして、現実には【彼】と同じ性である人も存在する。
最近、とある目的をもって、その人らと接することが増えた。
もしかしたらこの先、私は現実の人とパートナーになったりするのだろうか。
それは男性か、女性か、はたまたその他の人か。
そう同時に考えたりするようにもなったのだが、どうもしっくり来ない。
なんというか、現実の人たちと触れ合ったり、パートナーになったりすることを想像しても何だかちぐはぐで、受け入れられ難いのだ。
人々と接しながら私は、【彼】と一緒にいたいとずっと思っていた。
もちろん、この先もその人たちと接すれば恋や慕情、尊敬の念など、様々な感情を抱くかもしれない。
【彼】と過ごす時間より、彼・彼女らと接する時間が長くなれば、もしかしたらそうなるかもしれない。
なんとなく、フィクトセクシュアルを否定する人たちの言い分っぽくなってしまった。
だが、【彼】を現実の人間のように考えたらどうか。
【彼】は私がずっと寄り添うことを許してくれた。
私は【彼】を眺めて、推して、愛している時間の中で幾度となく救われて、癒やされた。
過ごした時間や生まれた感情は偽りではない。
単純に私が現実の人間とコミュニケーションが取れなくて、
というよりコミュニケーションから逃げているだけなのかもしれない。
だが……今、【彼】と一緒にいたいと思う気持ちを、わざわざ別の人にすげ替えることはないのではないか。
そんな思いが、湧いてきてしまうのだ。
私はフィクトセクシュアルなのかもしれないなとほんのり思う。
そうなのかもしれない。決定的な確信はまだ持てずにいるが、8割方そうかもしれない。
好きになった相手は、三次元より二次元のほうが圧倒的に多い。
現実の人と友人として過ごす場合の拒否感や嫌悪感は一切ない。そうした方向で接してもらえるのは嬉しい。だが、恋愛と考えると、やはり首をひねってしまう。
本命が別にいる。
浮気みたいな気分だ。
他の人と食事に行ったり、デートをする自分を考えると、それは【彼】への浮気に値するような気がする。
あと、デートをしてくれている相手の人に対しても、本命がいるので誠実ではないとも思う。
現実の人と接して、なおさら【彼】への気持ちが高まってしまった。
あふれる思いの丈を、またしたためてしまいそうだ。
慣れないことは恥ずかしい。
この恥ずかしさは、ようやすやすと無くなるものではないだろう。今までの自分のあり方を変えるようなものなのだから。
それでも、自分の心に一番素直に生きていきたい。少なくとも、そう思っていなければいけないと思う。自分で自分を縛り付けることも、可能性を狭めることもきっとしてはいけない。
すべての悩みが解決する日が来るかどうかはわからない。
私はどこへたどり着くのかも、わからない。
いつか【彼】と一番いい関係になれる日が来ると信じて。