SEKAI NO OWARI /『深海魚』をクィア・リーディングする
わたしはずっと自分の人生において、SEKAI NO OWARIが併走してくれている、と思っている。
みなさんにも、そう思える音楽や、本や、言葉はありますか?
なんかふと、そういうのが、自分を解放してくれるように思う瞬間があるなあってわたしはおもってる。
SEKAI NO OWARIの「Nautilus」というアルバムに入っている『深海魚』という曲がある。
その曲の話を、今日はついにしようと思って!
(念願だったので嬉しい✌️)
クィアリーディングできる曲なんて、なんぼあってもええですからね〜
長いですがお付き合いくださるとうれしい
『深海魚』との出会いは、かれこれ10年ほどになるわたしの「ender」生活の中でも、とりわけ衝撃的だった
曲調は暗く、重くて、セカオワのダークな曲が好きな人にはすごくささるんじゃないかな
そして歌詞もめちゃくちゃ暗い
今回の「Nautilus」をメインにしたツアー、「深海」の中でも、とりわけ「深海」の底知れないような暗さを表現してたなと思った
でもわたしは、その暗さにたまらなく救われてると思う
ここからわたしがひたすら好きな歌詞たちをクィアリーディングしていくので、クィアフレンズはじめ、あらゆるひとと共有されればいいな
久々に自分がクィアである話をしっかりとするので、取りこぼしている部分もきっとあるし、拙い文章で申し訳ないけど、
これはクィアのための、わたしの日記
真っ暗な世界に潜ってたんだ
まっぴらごめんだ 捕食されんのは
わたしは、自分がクィアとして生きていて、というか、わたしとして生きていて、この世界はずっと真っ暗だし、一寸先は闇、みたいな、いやもうずっと暗いと思っている
まさに、「潜っている」という感覚
わたしの感覚に寄せれば、「溺れている」ような
わたしにとって、毎日がミスジェンダリング(そしてその多くがミソジニーを伴っている)のしんどさの連続で、わたしがもうなにを言ってもこの世界がずっと暗いなら、もう黙ってしまおう、なにも言わず、静かに海の泡になって、ぱんっと消えてしまうのを待とう、と思うことが常である
真っ白な命が降り注いで
うっとりさせる
偽物ロマンティック
ぐったりしたんだ
ホンモノってやつが
生きていけない暗い場所
シスヘテ中心に世界は回っている
どこにも存在などしない「普通」を中心に世界は回っている
クィアの人生のロールモデルとはなかなか出会えないし、この世界のロマンティックは、わたしにとってはほんとうに偽物ばかりだ
なにを夢見て、なにを願って、自分をどう生かしていくか、まったくわからない
途方にくれることが多すぎる
わたし/わたしたちの声が、語りが、「ホンモノ」かどうか、マジョリティはジャッジしたがるが、その過程でわたし/わたしたちはすでにぐったりしている
「自分らしくあれ」
と言うなら選択肢をよこせよ
この一言にすべてが詰まってる
「多様性の時代だから」
時代もなにも、クィアはずっとずっとこの世界に生きてきただろ
「自分らしさ」?「個性」?
全部ピンと来ない、だって世界が言う「自分らしさ」や「個性」は、「マジョリティ」にとって都合のいいものしか「認めたくない」んじゃないの
自分のものではない“くつ”がしっくりこなくて、あるきづらく感じるように
自分でないひとの“わらじをはく”ということは、いつだって都合のいいものじゃないだろ
都合悪くても、分かれるわけではないけど、自分ではないひとのあり方を尊重しようと努力するのが、多様性が尊重された社会を目指すということじゃないのか
「同性婚」も、選択式夫婦別姓も、なんだってこの世界の「マジョリティ」の“お気持ち”で絶対に施行させないじゃないか
選択肢がないのに、どうやって「自分らしくあれ」と言うのか
選択肢をよこせよ
思いやりみたいな生ぬるい話をわたしはしない、わたしは人の尊厳と、権利の話をしている
わたし/わたしたちの幸せを祈るということは、それだけの声をあげ、連帯し、ともにたたかうということだよ
わたしはただ願ったりなんてしない、祈る
祈るということは行動で、行動の先にわたしは自分らしくあれる世界があると思っている
逃げたいと思うことは多すぎるけど、わたしは深海に、溺れ、沈んでいきながら、ぐるぐると考えながら、どうにか行動をし続けている
化け物になれ るるりらりら
自分らしいとやっと思えた
生きる為に 灯すライト
暗闇でよく映える
わたしは自分をクィアと名乗るようになって、ちょっとずつできることをやるようになっていく度に、なんだか人間関係は変わってしまったし、うまくやれないこと、失ってしまったなと思うことはたくさんある
ひどいこともたくさん言われたと思うし、聞いてきたと思う
基本的にわたしは自分自身がクィアである話をすることは、わたしの生き方としては前提で、必要なことで、以前はすごくしてたんだけど、最近はもうつらくてできない
失うことがほんとうに怖くてたまらなくて諦めちゃうことたくさんある
大切な人にほどできないかもしれない
(話せてる人が大切じゃない、ということでは全くないが)
だけれども、クィアフレンズたちとの連帯や行動は、わたしにとってこの暗闇の中でみつけられたライトなのだ
ライトがあるなら、わたしは「化け物」になったとしてもこの世界を変えたくて、この暗闇にすこしでもライトが増やせるように、行動したいと思う
どれだけ失っても
覚悟なんてずっとないけど
白く輝く波 追いかける群れ
泡沫の強者の喧騒
煌めくシリウス 見上げる者
息をひそめ沈んでいく者
強者の喧騒を泡沫と言い切っちゃうところが好きすぎる
沈んでいくという言葉から、わたしは宮地尚子先生の「環状島」モデルを思い出すの
(詳しくは『環状島 トラウマの地政学』https://www.msz.co.jp/book/detail/08738/ を読んでみてほしい!)
煌めくシリウスを追うことができなくて、〈内海〉に沈んでいくわたしの話をしてくれてる気がした
今日も生き抜いた
その連続に誇りを持て
これがまさに、わたしにとっての「PRIDEを掲げる」ということ
暗闇で生きてること、毎日を生き延びることがわたしにとってはすごくきびしく、かんたんじゃないから、その度にわたしはこのフレーズを思い出す
今日を生き延びたわたしへ、最大の祝福を送りたいといつも思ってるよ、わたし
生きていけないと思う場所に
しがみついて生きてた日より
暗い場所はどこにもない
それだけは確かなんだ
生きる場所はここじゃないと
静かに沈んでくんだ
ぐったりしたわたしは、傷を負ったわたしは、語れなくなって言って、やがて〈内海〉に沈んでいく
これを書いている今も、すこぶる調子が悪いし、そういうときほど何度も何度も負った傷に自分で触れてしまって、痛みに苦しんでいる
そんな日々を生きてきたの、もしかしたらこれを読んでくれたあなたにも、そういう傷があるかもしれない
その傷はあなただけのものだよ
※宮地さんの『傷を愛せるか』というエッセイ本があるのだけれど(文庫本にもなっているので、ぜひそちらも読んでみて欲しい https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438164/ )
「溺れそうな気持ちを覚えていたい」という話をされていて、わたしもそう思っていて
(とにかく読んで欲しいかも、いまのわたしと語彙力と知識ではどうしてもチェリーピッキングみたいになってしまって、上手く伝えられなくてもどかしい、いつか加筆するかも)
深淵を覗いてみろよ
逃げることで
変わることで
生き延びてきたんだ
アイツらより長く
フカセさんは以前出演映画『キャラクター』を通したインタビューで、オウムガイが好きだという話をしているんだけど、その話にも通ずるかもしれないと思った
この歌詞には、セカオワというバンドの根底にある「変わらないために変わり続ける」という思考が詰まってる
人は変わっていくし、わたしだって変わってきたし、けれど良くも悪くも、変えられないもの、変われないもの、変えないもの、あると思う
わたしはクィアであることは変えられないし、それが悪いことでは決してないと断言する
そこでわたしは自分が生き延びるために、良くも悪くも変化してきたなと思ってる
そのなかで、わたしは自分が大学生やれていて、フェミニズムを勉強することができていて(それはほんとうにラッキーだと思っているけれど、特権的、とも捉えうるが)、たくさんの言葉を知るということで、わたしは自分という人間を肯定し、祝福してこれたと思っている
ここでいう「アイツら」になにを当てはめるかは聴いているわたしに委ねられてる気がするんだけど、
ここに個人を当てはめるのではなく、クィアであるわたしの戦うべき相手は、あくまで人というよりこの社会構造そのものであることをこめて、怒りながら歌いあげたい
セカオワはポップに、多くの「わたし」の悲しみ、ゆううつ、挫折、怒りを代弁し、
決してフィクションではないファンタジーを歌い上げてくれる
もちろんこれはちょっと…という曲や歌詞はあるし、モヤモヤすることもたくさんあって、セカオワの音楽を聴けないなって思うこともたくさんあったけど
セカオワが変わらないために変わり続けていく限り、わたしはenderーファンとして、セカオワとともに、憎らしいけど、愛するみんなが生き延びる、この世界のなかを、ともにどこまでもあるき続けていきたいと思う
改めて、『深海魚』を生み出してくれて、ほんとうにありがとう、SEKAI NO OWARI
ここまで、本の話も少し織り交ぜているが、本を読むことでわたしはわたしを取り戻していけると思っているので
いつも溺れているような、深海に沈んでいくようだけれど、じたばたとしながら、でも水に少し慣れた時、本を読めば、わたしは深海に差し込んでくるひかりを見つけられるし、泳ぐことができるようになる、
それは言葉を紡ぐことで、願うことを祈りという行動に変えていけるということ
上手く伝えられないけど…わたしはそうやって自分を生かしてきた
よって、本を読めないほど沈んでしまった時がいちばんつらいし、なんならまさに今もそうなので、生きている心地もしない…
けれども、これを読んでくれたあなたが、もし今そんな深海に沈んでいくような気持ちなら、このクィア・リーディングが、あなたの暗闇のなか、灯るライトとなればいいなと思います
※歌詞参考: Spotify