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Emergency Contraception
結構前の話になるのだけど,
重い話ではそんなにないので,シェアしておこうと思う。
わたしももっと,性に対してオープンでありたいと最近とっても思うのだ。
あと,バトラーの『ジェンダー・トラブル』を読んでいて,考えることがとっても多いからだ。
「避妊に失敗したかもしれない」
そう恋人が言うものだから慌てた。
といっても,正直経験も知識も無かったわたしには,最初は全くピンと来なかった。
翌朝,2人で始発の電車に乗って,はるばる遠くの産婦人科に行った。
初めてだらけだったわたしはすごく戸惑ったし,その危機の実感もあまりわかなかった。
当然ながら初診だったので,問診票に色々書かなきゃいけないんだけど,
そこで改めて自覚したのだ,
わたしは自分の身体について,
全然知らなかったのだ,
というより,
知ろうとしてこなかったのだ。
自分の「女というセックス」というアイデンティティが,すごく嫌いだったからだ。
月経周期とか,排卵期?とか,高温期?とか,
正直ちゃんと考えたことも無かったし,
一方恋人はすごく理解がある人なので,
わたしが知らないことも知っていて,
たくさん教えてくれた。
有難いと,本当に思った。
同時に,自分のことなんだから,自分が知らないといけない,とも思った。
わたしは,今まで月経がくるタイプ性器のある人たちとしかお付き合いなるものをしてこなかったので,
一般的な「(ほぼヘテロセクシャル・シスジェンダーのための)性教育(として受け取っていた)」をまともに聞きたくなかったし,自分にはあまり関係の無い話だと思っていた。
しかしよく考えたらわたしはパンセクシャルに分類されちゃう人間だし,アセクシャルでもノンセクシャルでもないわけで,
月経が来るタイプの性器があるわけじゃない人ともお付き合いする可能性も,性交渉をする可能性もあるわけで,
あの頃は「今」のことしか考えてこなかったんだなあとすごく反省した。
それと同時に,
「多様な性」を考慮した性教育というものがいかに大事なのかを実感したのだ。
まず言葉に配慮すべきだと思う。
言葉が与える先入観への影響はとても大きいと思うからだ。
例えば,先程述べたように,「月経が来る人」「ペニスがついている人」etc.という表現をつかったり,
男/女に二分化されてしまった「セックス」という性別は、決して「自然」ではないということ,
そして月経という現象を「ジェンダー」と結びつけて考えないこと,
そういった配慮ができた方が,わたしならその授業とか講義を聞こうと思えると思う
バトラーが言うには,
「セックス」すなわち「ジェンダー」だと,
わたしもそう思うのだ,
なぜわざわざ生殖器という身体的特徴を根拠に性別というカテゴリーを作ったのか
ホルモンが発見されてもなお,このシステムを利用し続けているのか
合理性の名のもと,わたしたちの本来持つ多様性が損なわれていると感じる
どうしてこの世に誕生した瞬間から,医学という名のもとに
「元気な女の子ですよ」
「元気な男の子ですよ」
と,セックスという名のジェンダーを「つけられ」,
それをほぼ一生抱えて生きていかなくてはいけないのか。
何も考えず,ただこの社会構造の中で流されて生きていたら,こんなこと考えもしないんだろうけど。
自分の生きやすさを考えられるこの自由という権利を棒に振っていることなるんだと思う,
すごく勿体無い気がする!
もっとたくさん考えて,
少し手を伸ばして,
自分なりの生きやすさを見つけていきたいのだ
自分の身体を知ることは大事なこと,
言葉にすら含まれるジェンダー固定観念(ex.「妊娠」や「嫉妬」につく「女へん」など)はなかなか変えることはできないけど,
出来る限りの配慮をして,
多様な性のあり方を受容できている性教育があればいいな
と思う。