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振り返ってみよう!たった一人の自分の人生を

今日は魅力覚醒講座卒業後、20期有志で始めた「ワーク深め隊」のワーク会だった。前回が自己紹介の回だったので、今回が事実上の初回。5名での振り返り会を終えた今、あらためて自分で振り返りを行っていこうと思う。

それぞれが自分の書いたライフライン(以下の図)を画面に映しながら、どういう時に最高・最低だと感じたかを自己分析して、その後に他の人から見た本人が気づいていないポイントを話していくという感じで進んでいった。

ライフラインは就活の自己分析に行うことが多いいわゆる「モチベーショングラフ」だ。

違うところとしては、

・自分が一番楽しい時期が幼少期(10歳未満)にあるという人も割と多いということから、魅力覚醒講座のライフラインは0歳から現在までになっているところ
・モチベーションというよりはもっと直感的に「人生最高」と「人生最低」と思った時を書き入れていく形になっているところ

私のライフライン(ちなみに、上は小田切あさぎさんのライフライン)

<0~10歳>

一番子どものころ。
記憶がめちゃくちゃあるという人と、そんなにないという人が一番分かれる時期。

講座では、「10歳以下の自分は世の中の常識や周りの人の目を気にせず、ありのままの自分に近いよ」と言われていたけど、正直私は印象的な出来事以外はあんまり覚えていないので、そこまで高くなかった。

私は過去の良かった時代(小学生の頃。学級委員でピアノも弾けて勉強もできるクラスの中心的存在だった)を懐かしんでばかりいたのに、書いてみたら人生最高と思える瞬間はもっと後だった。

①「楽しい」がデフォルトの日々だったので、「人生最高」の基準が上がっていたんだろうか?

②「今に集中する」ができるようになったから過去の栄光にすがらなくて済むようになってきたのか。

③来るべき未来への期待(私、こんなんじゃ終わらないぞ!)があるから過去の最高が相対的に低くなったのか。

たぶん、どんな状況でも最善という考え方を学んで、ふがいない自分も受け入れることができるようになってきたので②・③が強くなってきてるんじゃないかと推測している。

<10~18歳>

いわゆる思春期。
それまでも友達から良く思われたい!がモチベーションだった私が、更に他人の目を気にしだした年頃。

学区の境界線付近に住んでいて、小学校は徒歩通学だから近さ重視で越境OKだったのに、中学校はNGという謎ルールのせいで学年の大半とは違う中学校に行くはずだった。

進学予定の学校はヤンキーが多くて廊下のガラスが割られている怖そうなところだという噂を耳にしたのと、同じ小学校から進学予定の少数派の同級生と折り合いが合わなかったこともあり、仲良し4人組で軽い気持ちで中学受験を決意。(ちなみに、結局は4人全員違う中学に進学したので、一緒に受験した意味なし)

今なら選ばないけど、電車通学もかっこいいって思っていた。制服も公立よりもかわいいところが圧倒的に多かったし。

そんな軽いノリで受験用の塾に行き始めて、小規模な学校の中では賢い方だけど自分そんなに賢くないんだってことを知って多少落ち込んだこともあった。塾の先生も、今思うと強くて怖かった。

でも、それよりも新しいことを知るのが楽しかったし、自分の可能性を誰よりも自分が信じられていた時期だったのかもしれない。

結果的に、受からないと言われていた学校に合格して意気揚々と入学。ここが人生で2番目に最高だった瞬間だと思う。受からないと思っていた塾の先生を見返したというのも、最高感を高めた一因だったかな。

ただ、第1志望だったから期待が大きすぎた。入った部活(管弦楽部)でイジメられている同級生をかばったら、自分もイジメられるという状況になり、不遇の時代が始まる。

イジメられた子はサッサと退部して状況を脱したのに、私はイジメに屈したくなくて、高校1年までの4年間も耐えてしまった。後で上司のパワハラに6年半耐える時期もあり、参加したメンバーから「(小柄で痩せっぽちの見た目に反して)おしん並みに胆力があるね」と言われた。自分でも意外だった。

イジメてる人達は途中から私の存在自体を無視していたけど、よくあんな状態で曲の演奏ができたものだと思う。お互い気が合わないにしても、違うタイプの人間だと認めて部活動に取り組んだ方がいい音楽が生まれただろうに。

私以外の他の人も幼少期~思春期で下がっていた時期はもれなく「イジメ」が関係していて、人間関係が人生の満足度に与える影響が大きいことを改めて実感した。

逆に、父親が怖くて何の意見も言えない家庭環境だったから学校が救いだったという人もいた。高校時代くらいまでは家か学校しか居場所がないという人が多いから、どちらかだけでも安心していられる場所があれば生き延びられる。

家と学校、どちらにも居場所がないと人生最悪では済まされないかもしれないと思った。SNSは誹謗中傷される可能性もある場所だけど、リアルの居場所が全くない学生世代にとっては大事な場所になりつつあるのかもしれない。悪いことはスルーしながら自分の第3の居場所にできるといいなと思う。

そして、18歳で大学合格した時が人生最高の瞬間!
もう受験勉強しなくていいからとかそういうのじゃなく、自分で決めた目標を達成したことが嬉しかったんだと思う。

18歳までに人生1・2の最高ポイントが出てきて、どちらも誰かと何かを達成ではなく、(周りの支えはあるにしろ)「自分の目標が達成された!」という時に最高という感覚になるということがわかった。

<18~28歳>

大学入学すると、周りは年齢的にも恋愛が盛ん。6年ぶりの共学に中々慣れず、友達作りは何とかなるも、今思うと中高時代から引き続き他人の目を過剰に気にして過ごしていた。

興味があることが学べる大学に入ったけど、他人の目を気にしすぎなかったら、もっと大学生活楽しめたんだろうな。アラフォーの今、再度学びたい欲が出てきたから、再び学び直すのはいいアイディアかもしれない。

そして、就職か進学か悩んだ末、理系大学院では研究テーマと計画を自分で決めて進めていくのが大切なのに自分はそれが苦手だと気付き、就職を選択。

就職活動ではお祈りメールを何度となく受け取って、メンタル弱い私は落ち込んで泣いたりしたものだが、何とかメーカーの総合職で内定を獲得して活動を終了し、卒業研究を先生や院生に助けてもらいながら自分なりにまとめることができたのは今でも大きな成果だと思っている。

そして、入ったメーカーで社会人の壁にぶち当たった!!!
女子校時代に聞いていたけど、まだこんなに性別による分業が行われていることにショックを受け、男性には負けたくないという気持ちがあふれ出る就職氷河期世代の女性上司のパワハラに耐える日々が始まった。

新卒2年目でリーマンショックがあり、こんな未熟な状態でリストラされたくない!という気持ちで必死に耐えて耐えて、人生二度目のおしん状態に
・・・。

一緒に配属された同僚はメンタルを病んで、2年目途中で休職→退職してしまい大ショック!!!

いつも元気で上司のパワハラ発言も受け流しているように見えていたのと、自分のことで精一杯で彼女がギリギリのメンタルで働いていたことに気づかなかった。

たった1人の同僚も助けられない自分が不甲斐なくて、生き残った自分が頑張らないと!という気持ちと両親をこれ以上心配させたくない!という気持ちがあの頃自分を支えていた。

一方でこの蟻地獄のような状況から抜け出したく、毎朝出社前に社会保険労務士の勉強を開始。この資格を選んだのは、パワハラ上司に対抗するためというのが大きな理由。

中学受験の時もそうだけど、私は期待されると負担に思うくせに、「お前には期待してないよ」という態度を取られると、なにくそ!!と奮起するようだ。

<28歳~現在>

パワハラに耐えていた2011年3月11日、東日本大震災が起こった。
神奈川県の自宅の家族と連絡が取れず、東京の事務所で被災して帰れなかった。
パワハラに遭って自分だけが苦しいと思っていたけど、そんなの大したことがないように感じるほど、自分の足元が崩れ落ちる位の衝撃だったことを思い出した。

強い衝撃と同時に、「一度きりの人生なのだから耐えて生きるだけで本当にいいのか?」という疑問が生じた。

ちょうど社労士に合格したのもあり、初めての転職を経験。

外資系企業出身の社長が作ったアウトソーシング会社ということもあり、前職の古き良き家族経営のような雰囲気とは全く違う会社で、社風の違いに戸惑った。
でも、人格を否定されるような上司や先輩・同僚もおらず、居心地は良く、今の仕事の基盤となるような労務関連のいろはを親切に教えてもらったことはとても感謝している。

ただ、人間関係は非常に良かったのだが、繁忙期の仕事が忙しすぎて最寄り駅からのバスに間に合わず、毎日タクシーで帰宅するようになってしまい、30歳で初めて一人暮らしをすることに。

三食一緒に食べてその日の出来事を話し合ったり、テレビを見ながら政治や芸能の話題について話したりする、今どき珍しい家庭で育った。ふとした瞬間に「あぁ、楽しいな」と思える家庭で、正直一人暮らししたい気持ちがそこまでなかった。

ただ、仕事についてまだ学びたいことが多かったので、家族との暮らしより一人暮らしを選んだ。今思うと、あの時家を出なかったら家族との暮らしの良さを知るのは、きっと親がいなくなった後だったと思う。

その後、多忙に耐えきれなくなり、コンサル関連会社の人事担当へ転職。
最初はフレックスタイムを人事自ら実践してみようということで、水曜日は16時に帰るキャンペーンを実施していて、「さすが、大企業!ワークライフバランスが整ってて進んでるな~!」と思ったものだ。

しかし、コロナ禍で状況は一転。
コロナ禍で業績が悪化する業界もあった中、私が所属していた会社はその逆でコロナ特需で人事も大忙しに。しかも、リモート勤務になって、一人暮らしの孤独を埋めるべく自ら進んでどんどん働いて、度々食事をするのを忘れてしまった。

その結果、気づいたら1日1食しか食べられない身体になって、めまいや乗り物酔いがするようになってしまい、夜も逆流性食道炎で眠れず、生理周期も乱れてPMSを発症し、休職一歩手前まで追い込まれるほど不定愁訴を感じるようになってしまった。

「本当に倒れる前にこの環境から逃げ出さないと!」と思ったのは、かろうじてまだ私の中に残っていた本能の叫びだった。

そして、私は何とか逃げ出して、今の会社に入った。
ベンチャー企業の人事はスピードが早く、組織の変動や人の入れ替わりも激しくて、お世辞にも人生最高とは思えない。

逃げるようにして入った私が悪いのかな?
考えてみたら、転職する時は人間関係が悪いか多忙から逃げるようにしてないか?
これから年齢を重ねたら、転職はもっと難しくなる。ここら辺で一度人生について考え直してみた方が良くないか?

そう思って、気になっていた小田切あさぎさんの魅力覚醒講座に勇気を出して飛び込んだ。

講義から学べることももちろんあるけど、テキストのワークをやって、それをシェアできるFacebookグループが用意されているというのが私には良かった。
自分のことは自分が一番わかっていない。だから、正直に自分のすごい部分もダメダメな部分もさらけ出して、自分とはどんな人かを教えてもらえる環境が大事なんだと思う。

今回の振り返り会で、他のメンバーから言われたのは、人生最低と思うタイミングでは「忙しすぎたり、自分が目標を見失ってしまっているから人間関係の悪さに目がいってしまうのでは?」ということだった。

あとは、目標を達成することで達成感を得て、それが人生最高!という感覚に繋がっているように思えるので、大きな目標じゃなくても日々小さい目標を達成するようにすればもっと最高という気持ちを感じながら生きていけるんじゃないか?ということ。

最高とはほんわかした幸せというより、どーんと大きい達成感だと思い込んでいたことに気づいた。
じんわりと心に沁みるような幸せもあるってことを改めて気づかされた。

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