『あえて一手間掛ける』ということ
大したことじゃないんですが・・・。
音楽を聴くのに、CDが好きです。
確かにストリーミングは便利だと思います。
でもメディアとしてのCDが好きなんです
カタチが残っているのっていいと思うんです。
ストリーミングって『煙』というかもっと言えば『湯気』くらいの感じがして、触れると暖かいのかもしれないけど、乾いたら何も残らないのが儚いというか。
でもCDは夏祭りのあとで家路につくとき、手にぶら下げた金魚の入ったビニール袋みたいで、うれしさの余韻がそこに残ります。
ところで、私方の音楽を聴くための設備はスピーカー一体型のCDプレイヤーで、一般的なBluetooth接続機能がついています。
それで、CDを買ったあとは必ずiPhoneに取り込むので、Bluetooth接続して鳴らすことで、ディスクを差し込んだり取り替える手間もなく好きな音楽を好きなだけ流すことが出来ます。
・・・でもね、
コロコロ楽曲を変えていると、なんとなく聞いているのはおんなじ楽曲なのに、価値が下がったような気がしてしまうんです。
好きな曲に好きなタイミングで替えるだけ。
でもいつもそうしていると、ヘタをすればある1曲すら通して聴かなくなっている自分に気がつきました。
だからこの頃、同じプレイヤーにCDを差し込んで鳴らしています。
そうするとあら不思議、アルバムを通して聴くことがまた増えてきた気がするんです。
ある曲を聴きながら『ちょっと違うな・・・』と思ってもそのまま流すことで、少しすると次の曲がやってくる。
聞き続けることで、それまで聞こえていなかったある場所の音像に気がついたり出来る。
これって、『消費』以上のなにか特別な『体験』である気がします。
普段の生活はiPhoneのライブラリからイヤホンで音楽を聴く。
おやすみの日はCDをのんびりと流しながらで聞く。
音楽と『お付き合い』をするのなら、後者のような『一手間』は大事なのかもしれないなと思いました。
CDをマシンに差し込んで、
美味しいコーヒーを淹れて、
座椅子に深く座り、
目を閉じてウィークデーの日常から、少しだけ逸脱してみる。
そんなときに、目を落とす先の手元に古いCDのライナーノーツなんかがあるとなんとなく・・・ほんのりと素敵だと、思いません?