思い込みと引き寄せの考察

突然ですが、私は引き寄せの法則はあると思っています。
けど、一時期流行った「引き寄せの法則」とか「お金を引き寄せる!」みたいなのも一通り読みましたが、あまりピンときていませんでした。
正直、思ってるだけで稼げたら苦労しないし、と思ってました。
それに、大体書いてること・・・同じじゃない?と言うことを感じていました。

ここからが考察になります。私なりに勉強したり感じたりした結果からの考察なので、全てに当てはまるわけじゃないのであしからず。

どの引き寄せの本を見ても出てくる単語は「ブロックを外す」という単語。最初はこれが分からなくて、例えば、「お金のブロックを外す」という場合だと「お金は努力して稼ぐもの」と考えるのをやめましょう。みたいな書き方をしてあります。
もともと私は感覚より思考よりで、「そうかわかった。考えるのやめればいいんだね!」と切り替えられるものだと思っていましたし、みんなそんなものだと思っていました。
しかし実際生活していると、ふとした瞬間・・・特に掃除なんかしていると考えているんです。

「あれ、高かったのに・・・・」

頑張って稼いで買ったものって、こう思うと捨てられな買ったんですよね。たとえ何年も使っていなくても。
よく考えると、

「お金」=「努力の結果・我慢した結果」

って結びついてるから

「高かったものを捨てる」=「努力の結果を捨てる」

っていう思考が働いて捨てられないってことなんですよ。
(もちろん対価として支払われるのがお金なので、努力の結果や我慢の対価でもあるのかもしれませんが)
もう使い倒して役目を終えたものなら、感謝して手放してもいいはずです。

別に努力の結果が消えるわけではありません。

長いたとえ話になりましたが、個人的な引き寄せの法則の見解は、

「いかに自身の思い込みをなくすか」

に尽きます。
物事を頭で考えまくる人種にとって思い込みや先入観をなくすのはとっても難しい作業です。なぜなら

「思い込みなんかしてないし、客観的だし!」

と思い込んでるから。私も理性的だって自分で思い込んでたし、そもそも理性的出なければならないという思い込みもあったから。
感情的なのって、全然いいことなのにね。芸術に感動したり、献身的になったり、とっても人間的で素晴らしいことなのに、自分の中で何故か否定して「理性的でなければならない!一択!」という思い込みで今まで生きてきました。むしろ今でも感情的になるのは怖いです。

理性的、と言いましたが、ここでの理性的は「とりあえず頭で納得できない、シミュレーションできないことは失敗する可能性があるからストップがかかる思考」の事とします。
遡っていくと、私は「失敗が怖い」と言うことになります。
認めるのは嫌でしたが、私は失敗が怖いです。嫌いです。なぜなら悪い事だと思い込んでいたから。ここでも「思い込み」の野郎が出てきます。

ここで話が少し戻りますが、ここで

・引き寄せの法則がうまくいっている人=ブロックを外した状態の人
・ブロック=思い込み

と言う方程式が成り立つわけですよ。
さらに付け足すと

・思い込みの少ない人=何事にも先入観なくチャレンジできる人(失敗を恐れない人)

ということが成り立ちます。
そりゃ、失敗を恐れず突き進んで、チャレンジしまくる人の方が成功も早いはずです。
失敗の数だけ上手くなるんじゃなくて、失敗しないと上手くならないのなら、手数打てる方が一撃必殺狙うより早く事が進むに決まってます。

これが、私のたどり着いた引き寄せの法則と思い込みの関連性です。
「思い込み」「刷り込み」は他人からされたにせよ自分でしたにせよ、必ず誰しもあるものなので、解決していくにはそれなりの時間と努力が必要だと思っています。
今まで正しいと思ってきた事が実は真逆だったと言うことを認めるのは苦痛が伴うこともあるので避けて通りたい気持ちになります。その避けて通りたい気持ちが

「目に見えないものは信じない」「引き寄せの法則なんて嘘っぱち」

という否定したがる気持ちなんだと思います。
目に見えなくても存在するものはありますし、まだ発見されてない法則だってあるかもしれません。
自分が知らないからと言うだけで否定に回るのはただの食わず嫌いです。無意識の思考が想定できないものを怖がっているだけです。
もし、「いい気分で気持ちよく過ごすだけで何もかも上手くいく」って言われたらどうしますか?
まずは一回チャレンジしてみたって別にいいはずです。

お金だってもしかしたらあなたが「苦労しないと手に入らないもの」と思ってるから「苦労しないとお金が手に入らない」が引き寄せているのかもしれませんよ?
もしそうならどうします?本当は「自分の好きにやる方が稼げる」かもしれないのに、わざわざ「苦労」を引き寄せていたら?

自分の思考はどこまで思い込みでできているのか、一度疑ってみるのも面白いですね。

私は最近、感情的(直感・感覚的)に生きる練習をしています。

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