見出し画像

太陽が眩しかったからここにいる

今の自分について整理する機会と思って、思い出しつつ書いてみる。

朝の丸ノ内線はまさに通勤ラッシュのそれで、
タイミングによっては、乗れずに電車を一本見送るほどだった。

職場のある銀座で降りる時には疲れていて、
地下道の生温い空気をかき分けて、
松屋銀座の眩しく飾られたウィンドウの前を通って地上へ上がる。

その地下道のウィンドウの前には一人のホームレスがいた。
長い髪、長いひげ、長いコート。
足元に黒いカバンが一つ。
靴は履いていない。

私が仕事をしている昼間にその人がどこにいるのかは知らない。

その人は松屋銀座前の地下道にある眩しいウィンドウの間の柱を背に立っていた。
座ったり横になると警備員に追い出されてしまうのだろう。
ずっと立っていた。
私はその人の前を、朝と夜に毎日通り過ぎていた。

クリスマスも仕事をしていた。
帰りに地下道に降りると、そのホームレスの前に本が数冊積まれていた。
誰かが置いていったんだろうか。

足元のカバンにドラムのスティックが2本刺さっているのが見えた。
それはその人の過去を少し私に想像させたが、何の感情もわかなかった。

頑張れば頑張るほど、まわりに迷惑かかる。
最近頑張ってないねって言われる。

今やっていることが、本当にやりたいことじゃなかったって、
本当はもっと早く気づいていたんだけど、
でも引くに引けなくなって、今ここにいて、
あの時やりたかったことをやっているのに、
毎日辛くて、
吐きそうで、
それでも住む家があって、靴を履いていて、
食事はとっているのにやせ細って、
帰りに深夜の住宅街の中の明るく光る自販機で好きでもなかった甘いジュースを買って飲むことだけが楽しみになっていて、
無心で毎日同じことを繰り返していないと、何かに気づいたら全部がダメになりそうだった。

朝から雨が降る日だった。
ところどころ濡れた地下道、目の前で一人の女性が足を滑らせて転んだ。
大丈夫ですか?と声をかけて、その人が落とした傘を拾い上げた。
その人は礼を言って傘を取ると恥ずかしそうに地上へとのぼって行った。

なんだかその日は嫌なことが起こる気がした。

その予感は当たった。
そうして、それまで引っ込みがつかなかったものを、とうとう引っ込めることにした。

帰りの電車の中で転職サイトに登録した。

流行り病で誰もが不安な中、
企業の活動も、先の見えない状況に、延期や中止が多かったから、
決まった採用も延期、そして中止になった。

春になって仕事もやめて、なんにもなくなったけど。
友達がいて、縁がつながって、色々あって、今は新しい仕事をしている。

やりたかったことをやっているわけでもないし、
なりたかった自分でもない、

朝コーヒーを飲んで、
仕事をして、好きな音楽を聴きながら買い物に行って、
洗濯した枕カバーで寝る日々。
空いた時間には、こんなつまらない文章を打ったりもする。

新しい職場は楽しくて、
誰かが異動するたび、何も変わらずこんな日々が毎日続けばいいのにって、最初は思っていたけど、
気づけばそんな変化も前向きに受け入れられるようになった。

そして今年は自分の番だった。

そんな時、「いつも調べたら分かるような質問ばっかりして、つい頼ってばかりですみませんでした。」と同僚に言われた。
だから、「こんな簡単な質問に答えるだけで感謝されるなんてラッキーだなって思いながらいつも答えてましたよ」って言ったら、
その後もらった寄せ書きには冗談で”神のように優しい”と書かれていた。

神様は優しかっただろうか。

努力や才能が、意思や選択が私をここに連れてきたのか。

目標を定めて行動して、目的を実現できる人を尊敬する。
私は何も考えずにここまできてしまった。
こんなにも居心地のいい場所に。

やってほしいと頼まれたことをやって、教えてほしいと聞かれたことを答えた。
分からないことを質問して、知らないことを調べた。

人に助けてもらって、人に頼ってもらってここにきた。
たくさんの人のおかげでここにきた。

私は一人じゃ何もできない。
自分が本当は何を望んでいるかも分かっていなかったんだから。

もし過去に戻れても、どこからやり直したらいいか分からないほどの、
失敗をしてきたけど
過去には戻れないから、そんなこと考えなくていいし、
むしろ、辛いかった時期に時間が戻ることもないと前向きにとらえてみる。

この先もまた辛いことがあると思うけど、
前に進み続ければ、それもいつか過去になる。

生きるということは何かをすることだけど、
何かをするのに必ずしも理由は必要ではない。

なぜと問うた時に、その時ちょうどよい理由を見つけているだけで、
理由を考えてから行動していることは少ない。

難しく考えなくていいんだ。

朝に目覚めようと思ってから目覚める人がいないように。

ただ、自分が今なぜここにいるのかを考えた時、
最初に思い出したのが、あの銀座の地下の景色だっただけ。

通勤ラッシュとか
たたずむホームレスとか
職場で言われたこととか
深夜の自販機とか
雨で転んだ人とか

そこに物語を持たせることはいくらでもできるけど、
少なくとも自分にとって、それに意味はない。

世界も人間も、現実は複雑で、
複雑に関わりあっているから、
そんな中で、たった一人の人間が望んだ結果を手に入れることは難しい。

もし望んだ通りの結果、未来を実現できたとしても、
そこにたどり着いた過程には、予想もしていなかった、
見ることも感じることもできない、たくさんの要素があるはずだ。

だから、自分を驕ることもないし、
誰かの失敗を責めることもない。

理不尽に感じることも、奇跡に感じることも、
自分か他人が作った物語に乗せられているだけだ。

ただ細い糸のような繋がりだけがあって、
そこから好きに選び取ったものが物語になる。

裏を返せば、どんな未来も実現する可能性がある、
ということかもしれない。

目に見えない繋がりは無数にあって、
それらがどう連鎖するかは分からないし、
思うようにはできないけど、
だから無限の可能性があって、
思いがけない未来を手繰り寄せることがあるかもしれない。

繋がりを大切にして、
他人を自分を今を大切に生きていけば、
明日や来月や来年は、思ってもない場所にいて、
昔のことをこうやって、いい加減に振り返っているかもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!