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幻の地、箱根に行った話。(1)

 彼とは付き合い始めて2年ほど経つが、二人で旅行に行ったのは一度だけで、都内から離れることもそうそうなかった。よその20代のカップルがどれくらいの頻度で旅行に行っているんだろう。ネット記事を読むと、過半数のカップルが半年に1回は旅行に行くとか。30代以下のカップルで、初めての旅行で国内に行った人の行先1位は、神奈川県と書かれている。確かに、私と彼の初旅行も江ノ島・鎌倉だったし、出所のわからないアンケートではあるが、ある程度信憑性のある資料かもしれない。

 箱根旅行に向けて、事前に小田急の箱根フリーパスを購入した。6000円もするけど、出発駅から小田原駅までの往復券や、箱根のほとんどの交通機関の乗り放題券などが付いている万能チケットである。チケットを買いながら、湘南に行った時も同じようなチケットを買ったことを思い出し、小田急線と神奈川県の観光資源に改めて感心した。横浜、湘南、箱根。確かに、30代以下のカップルが気軽に行ける旅先は全て神奈川県に集中している。

 横浜や湘南地域は大学時代、何度か訪ねているが、箱根だけは周りからの話はよく聞くが、決して自分が行く機会はなかったので、私の中で「箱根って本当は実在しないのでは?」という疑問だけ膨らんでいた。また、彼に「今度箱根いこうね」というと、必ず「いつかね」という曖昧な返事だけが返されるので、私とは縁がない地だと密かに思っていたのだ。

 なので、旅行前日まで「箱根にいく」という実感が全く湧かなかったのだが、割高で、購入を後回しにしていたフリーパスを購入した瞬間から、急にドキドキが止まらなくなった。

 そのせいか、目が覚めたのは朝の5時。余裕持って支度をしていたつもりだが、二日目の服が決まらず、クローゼットの中にあるほとんどの洋服を取り出す。しばらく着ていなかったせいで、シワシワになっていたスカートにアイロンをかけ、畳もうとしたら汚れを発見。急いで違う服を探していたら、予定していた電車は逃してしまったが、集合時間の7時15分にはギリギリ間に合った。

 新宿から箱根湯本までは約2時間。長いといえば長い時間だが、町田は都内か神奈川県かで言い合ったり(普通に都内だった)、あいこういしだ(愛甲石田)駅を見て、石田あいこという名前の人絶対いるよねといった話など、くだらない会話を続けていたら、あっという間に箱根湯本に到着した。新宿から箱根湯本は、1220円もかかるので、行きの時点で、元の1/5は取れた。

 本格的な観光の前に、荷物を預けに宮ノ下駅へ。山の中を走る赤い箱根登山列車に乗って、ようやく箱根に来たことを実感した。窓越しに秋色に染まった山の風景が見えてくる。東京にいると、自分が外人ということを時々忘れてしまうが、登山列車に乗っている瞬間だけは、ジャポニズムに熱狂する観光客になっていた。

 二日間利用するホテルは、エクシブ箱根離宮。彼と私がただの先輩後輩関係だった頃から、彼は部活の同期とエクシブの施設を利用していたので、私を含めた後輩たちの中では「先輩たちが旅行で泊まったホテル、○○先輩の家族が持っているところだって」とか、「○○先輩、ホテル持っているんだって!」といっためちゃくちゃな噂が流れていた。彼と仲良くなってから、初めて「エクシブ」という会員制ホテルの存在を知り、そこからエクシブに行くことを密かに夢見ていたのだ。貧乏かつ、無職の23歳がエクシブで泊まるなんて、やや生意気なのかもしれない。しかし、エクシブに行った経験は絶対、絶対いつか為になるはず。今この瞬間も、エクシブの話だけで400文字も書けている。

 宮ノ下駅に降りると、強く風が吹いている。せっかくの箱根、エクシブだから、ロングワンピースの上にクリスマスプレゼントでもらったカシミアのマフラーを羽織り、お嬢様気分を出していたのだが、「お嬢様は箱根なんかじゃなくて、軽井沢に行くんだよ」という一言で、旅行前日の工夫が台無しになる。

 ホテルのエントランスに着くと、手前にあるローソンから、ビールなどが沢山入っているビニール袋を持っているジャージ姿のおじさんが出てくる。買い物をする度に登山列車に乗るのかな。いや、流石に車で移動しているんだろう、といった山奥の町で普通の日常を過ごしている人々の暮らしを想像してみる。

 彼がフロントで荷物を預けている間に、不慣れ感丸出しだなーと思いながら、ホテルのあっちこっちを写真に収める。シャッターの音がやけにうるさい。

 その瞬間、レンズ越しに見覚えのある男性が見えてきたのだ。両手にローソンのビニール袋を持ち、ジャージ姿をしている中年の男性だ。クローゼットの中から最も上品そうなワンピースを取り出し、寒さにも負けず、上着の代わりにマフラーをストールのように羽織っている、浮かれて同じような写真を何枚も撮っている小娘の自分がなぜか惨めに、同時にとても可愛く思えてきた。

 私たちは、ホテルの前にある有名店で購入したカレーパンとパンオショコラを一口ずつ齧りながら、空腹感を紛らわす。きっと、箱根という旅先に最も似合う、若々しく、愛しい二人だっただろう。

〜(2)大涌谷編に続く〜

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