子どもに寄り添える大人 (古内一絵『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』)*30


今日は、『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』から思い出した事を綴ります。

「第二話 金のお米パン」は訳も言わず、母親の手料理を食べなくなった男子中学生の話でした。
(シャールは、夜食カフェを営むドラァグクィーン、この本の中心的な登場人物です。)

シャールは相手が誰であろうと、態度を変えない。(中略)
常に、自分の考えを自分の言葉で、率直に語っている。
こんなことは教師にだってなかなかできない。
つい子供の理解力を疑い、その背後にいる保護者の影を窺ってしまう。そこで口から出るのは、いつだって無難で差し障りのない建前ばかりだ。
建前を並べたてる大人たちに、子供の本音を引き出すことなど、決してできやしない。

古内一絵『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』
第二話 金のお米パン 107ページ

ここを読んだ時、中学生の時の先生方を思い出しました。私は中学校の先生方が苦手だった一方で、当時通っていた塾の先生方には好感をもっていました。「先生」というより「大人」という表現を使った方がいいかもしれません。私にとって、信頼できる唯一の大人でした。
中学校の先生には、子どもながらに、大人として信用できない何かを感じ取っていたと思いましす。それが、彼らからの「建前」や「私たち、生徒への疑念」を含んだことばだったんだろうなと、今思いました。

古内一絵『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』(2015年、中央公論新社)

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