生きる力のシンプルな答え
「みんなに出来ることはね、楽しいことを見つけて、光になることなんだよ」
先日、ネットの世界から離れて「防災キャンプ」という名目で地元の公民館に寝泊まりしてきました。(noteが久しぶりなのはそのせい)
以前触れた子供会のイベントで、私にとっては数年ぶりの企画からの参加でドキドキ。
1つ前のトークノートも、このキャンプ中に書き留めておいたもの。
給水体験、電気がなくても身体1つで気持ちをリフレッシュできるレクリエーション、危険予知トレーニング、実際の避難経路を歩いてみる…などなど盛りだくさんの一泊二日。
電気もガスも水道も止まっていたら…という想定。
「なんだ、ただの設定じゃん」と思っていたけれど、そもそも公民館という場所には普段の生活と比べたら不足しているものが多い。
娯楽はもちろん、炊き出しを担当していた身としては、調理室はあっても調理器具が数十人の避難者に対して明らかに足りない。
それでも食事の時間は決まっているし、「避難生活」という非日常においては食事ってそれだけで嬉しい時間。
食べるってことが、シンプルに生きることに通じているんだって気付ける尊い時間。
でも、色んなものが足りない。それじゃあ、そうすれば!?
テンパる私の横で淡々とお米を研いでいたお姉さん(その日が初対面)は常に冷静だった。
20人以上分のお米を炊くにも、家庭用の炊飯器じゃ足りない。
そんなちょっとした「いつもと違うこと」に戸惑って慌てていたけれど、お姉さんは炊飯器のスイッチを入れた後で残りのお米を研ぎ始めていた。
冷静に考えれば、(電気が使えるという前提だけども)早炊きモードを使えば1時間の間に2~3回はお米を炊ける。
この時、子ども達はガスを使わないで火を起こしてお米を炊いたり、ホットドックを加熱したりしていた。炊き出しはそういう特殊調理が上手くいかなかったり、食事の量を調節するための補助的な役割。
だから電気やガスは使っていたけれど、基本的に何もかも「2つ」が基本だった。コンロも二口、まな板や包丁も2セットずつだけ。鍋は穴が開いていたり、缶切りは錆びていて使えない状態で、ピーラーなんてそもそも置いていなかった。
大学の食堂ならまだしも、公共施設の調理場とか給湯室ってこんなものなんだろうなあ。
それでも四苦八苦しながら、皮むきをしたり、食材が入っていたトレイをまな板にしたりして、手あたり次第、目に入るものは全部使えないかって考えていた。
生ごみをまとめるネットがないから、玉ねぎが入っていたネットを使おうと思ったけど、網目が粗すぎたからボールの上にざるを置いて、ちょっとずつ水切りをしては、スーパーの袋にぽいぽいとまとめていった。「いつも」より手間がかかるから、調理の合間に色んなことを同時進行していかないといけない。
今あるものを使って最高のパフォーマンスをあげる。
「間に合う間に合う」と言いながら、お米を研ぐお姉さんの背中は真っ直ぐで、美しかった。
その時出来ることを全力でやること。
自己啓発本に載っていそうな言葉だけど、避難生活で役立つスキルって、すなわち生きる力に直結するのだと思う。
後から聞いたのだけど、そのお姉さんはガールスカウトの経験者らしい。ガスが使えなくても、火を起こして淡々とお米を炊いていたに違いないなあ。
個人的にボーイスカウト/ガールスカウト=野外活動というイメージなのだけど、それはつまり自然の中に身を置いて、周りにあるものと自分の身体ひとつで生きていくために気持ちを研ぎ澄ませていくことだと思う。
人間の力ではどうしようもない自然の大きさを感じながら、自分の手足で出来ることを考える。
食事の話と同じで、シンプルに「どう生き抜いていくか」という話。
だから彼ら/彼女らはたくましい。キャンプが好きな人をかっこいいと思うのは、そういう「生きること」への真っ直ぐな姿勢も関係あるんじゃないかな、と思ったりもして。
あと、「パフォーマンスをあげる」っていうのは、非常事態における効率的な行動だけじゃない。
確かに大人は迅速な決断を迫られるかもしれないけれど、じゃあ子どもは何も貢献できないのかっていったらそんなことはないのだと感じたのが今回のキャンプでの一番の発見。
水道が使えないから重たい給水袋を担いだり、床に段ボールを敷いて夜を明かしたり。
疲れるなあ、身体痛くなるだろうなあ、疲れとれないよなあ。
そんなことしか思いつかない私の横で、子どもたちは逆さにしても水が零れない給水袋の構造に興味津々で、段ボールをキャタピラにしてはごろごろと楽しそうに遊んでいた。
「眠れないで泣く子がいたらどうしよう」と思いながら子どもたちの横で段ボールの上に横になって目を瞑ったら、30分後には元気ないびきがそこら中から聞こえてきて、なんだかたくましいなあと思ってしまった。寝床で危うく泣きそうになったのはむしろ私のほうです(笑)
彼らはあらゆることに楽しみを見出す天才。小さな身体を目一杯使って好奇心を満たすことは、周囲を勇気づける。そして、それだけ疲れるからよく眠る。大人の心配をよそに、全力で生きることがあらゆる不安を払拭してくれるのだと、体現してくれる。
「みんなにできることは、目の前の楽しいことを見つけて、全力で楽しむこと。みんなの笑顔が、光になります」
最後の挨拶でお姉さんが言っていた言葉。
固い床で寝て身体が痛くなっても、身体ひとつで出来るレクを沢山吸収してくれた彼らなら、きっとそうなってくれるだろうなと思った夏の朝。
限られた手持ちの中で最善を尽くす。
あらゆることに面白さを見出して楽しんでしまう。
生きるうえで大切な心の持ち方を、避難生活という「非日常」がシンプルに見せてくれた時間が教えてくれました。
光になれるような、全力の素直さで生きていこう。
表紙の写真は、実際の朝ごはんの様子。「いただきます」のレパートリー盛り沢山なのが子供会です。