推し のいる生活。 それは うれしくて ちょっと さみしい。
私が住んでいる地域は、平成の大合併でも近隣の市に拒まれて『市』に入れなかった(と当時、周りの大人たちが言っていた)、いわゆる郡部のまぁまぁな田舎である。
子どもたちは地元の小中学校に通うために数キロ歩くというのはざらで、わが家の地区においてはバス通学も認められている。
しかし登下校の時間帯といえど運行しているバスの本数は少ないので、私はよく車で子どもを迎えに行く。
学校から少し離れた場所に車を停めて待っていると『僕も乗せて〜!』と数人の男の子たちも走ってやってくる。
うちの子のクラスメイトや学年もいろいろな近所の子どもたちだ。
親同士も親しいので、みんなまとめて連れて帰り、それぞれ自宅へと送り届ける。
この時間はなかなか楽しい。
今日は誰とケンカしたとか、どれくらいエアでリコーダーを吹くと音楽の先生にバレるとか、なんで英語を勉強しないとあかんの?とか、スタバって行ったことある?とか。
口々に話しだし、帰り道はあっという間に過ぎる。
その中の一人に、うちの子と同じスポーツチームに所属する男の子がいる。
プレーが抜きん出ているだけではなく、明るくて礼儀正しい彼は下級生の面倒もよく見る。小学生には見えない恵まれた体格がより彼の存在感を際立せ、周りにはいつも彼に憧れるチームメイトが集まっている。
そんな輪の中心にいても、困っている子の存在に一番に気付くことができる心優しい少年なのだ。
そんな彼が、私の誕生日にプレゼントをくれた。
(というのも、私が、スタバに憧れている彼のお誕生日に、好物だというピーマンをベンティサイズの大袋で差し入れたことがあった。)
『mayさん、いつもありがとうございます。おめでとうっす。』と。
彼は律儀すぎる少年でもあった。
袋をあけると、かわいい3足の靴下だった。
ピーマンが3足の靴下になって返ってきた。
穴があったら入りたい。
何より、12歳の子どもがお小遣いやお年玉を使って選んでくれたのかと思うと、涙がでそうなくらい嬉しい。
そして、ついに深海生物柄が似合う年齢になったのか!!と私は笑ったが、彼は真剣な顔だった。
ユーモアではなく、どうやら本気で似合うものをと考えてくれたようだ。
彼は、とんでもなく正直者でもあった。
そんな彼に、県外の中学へのスポーツ進学の話が出てきた。
彼の存在や噂は、既にこの田舎町を出ていた。
『僕ものせて〜!』もあと半年くらいかもしれない。
子どもたちの成長や手を離れていくという感覚は、わが子だけに限らず感じることもあり、それは使い古された言葉だけれど、
『嬉しいような、淋しいような』そのものだ。
すごい、すごいよ。
がんばれ。
本当はどうしたい。
嬉しさや昂る気持ちと、12歳で親元や地元を離れる不安。
どれも自分で正解にすればいい。
悩むまだ幼ない表情を見て、みんな言葉にならない思いで見守っている。
子どもの可能性は、私たち大人の経験や想像の中には収まりきらないほど、広く、高く、深い。
実をつけてから、あっという間に膨らみ弾けようとする彼らの人生の、ほんの短いひとときに私たち大人が関われることは幸せなことだと思う。
「どうしたん?今日は元気ないやん」と肩に手を回す友達のお父さん。
「買い物行くけど、何か食べたいものある?」と半分家族みたいな幼なじみの家族。
「今日バーベキューするねん!食べにおいで!」と、ウンと言うまで誘う近所のおばさん。
「唐揚げ、おまけな」と地元小学生全員の祖母みたいな商店のおばあちゃん。
「スタバの注文は難しい」と脅すクラスメイトのお母さん。
みんな、君が有名になってほしいとか、覚えておいてほしいだなんて思ってない。
私たちが、ただただ、君を推しているのだ。
応援したくなる存在、かわいいやっちゃ!と思える存在、頼ってくれると嬉しい存在。
その、生き方よりも存在を喜べる、存在。
そんな存在がある生活って、幸せなことだと思う。
ありがとう、と思う。
子どもの頃、友達の家で壁一面に貼られた
光GENJIのポスターを見せられてポカーンとした私も、今ならわかる。
推し のいる生活の意味が。
それは、とても尊い。