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ファンタジアは今日の今日まで

言いたいことなんて山ほどあって、ただそのどれも自分の声として発するのは難しい

上半期、
息つく仕方も忘れていたから、こうして反動がくる。サボる覚悟がなくて毎週末家事やら掃除に取られる時間が憂鬱さを底上げしていて、どこかで「やらない方が気持ち悪いから」、といって逃げられないと思い込んで、秒単位で過ぎていく時間がとても憎らしくて、それはもう許せなさの塊だった
これからは覚悟を決めて、絶対に頑張らない日を作ることにしよう。まだ折り返しだなんて信じられなくて、実は本当にクタクタで、毎日がトライ&エラーで、エラーに度々傷ついてなんかいられないほどに次のトライを実行していたから 些細な会話に些細に傷ついた。傷つける者を許さないとも思った。見えない心 休めない心はわかりようもない
変われなかったらどうしよう
こんなにも変わりたいのに、今日の足は重い

白湯、臓器があたためられる感覚が内側から宿って、血につかない足に湯を浴びせるみたいな感じがある。心の足湯みたいな、そういう

果たせなかった約束みたいなものにトラウマがある
やるべきことばかりやっていては頭が腐ると物の誰かはよく言ったもので
長い長い髪はうっとおしく、重ねてかなり愛しい じんわり湿気でやる気がなくなった毛先のくったりした姿は化身そのもの
甘ったるいカフェオレを選ばなかった  
イヤリングはいつのまにか無くなっていた
指紋のついた指先が鈍く光る
どうしたって不器用だ

知らない怒りはどうせ当て馬なんだからといった理由で数年間拗らせがいのある方へ傾いている
明日は雨が降るらしいけどそれは本当なのかな
本当だよと何回も言われるけれど、本当にそれは 
先の見えない明かりはろうそくよりも頼りなく、寝つけないわたしは日々、同じ歌を歌う
今日を閉じて明日を開いて
明日を赦せるだろうか
明日をゆるせないだろうか
静かな空を見上げて雨を待つ ちょっとだけ人ごとのように思って 柔らかな光を見る

眠い眠い目を擦って待ち望んだ新年を、革命といわれたこの年のことを  本当に生きられるのかとかずっと考えながら でも潰れそうな夜が明けること 時間が動き始めることにほっとするくらいにはこの年を待っていたはずで

自信のなさってどこからくるのか
小さい頃に、夕立がきて雨もたくさん降ってきて、家に閉じ込められるようなそういう日を 自分の力では抗えないような どうしようもない時間にとても安心した
自分のせいで とか どこか自分の問題になってしまうようなことがないから 抗えないものに守られているような感覚は大人になった今でもよく感じている

昨年の暑すぎる夏にベランダで死んでしまった植物を何とかしようと思い立った5月  植え替えたミントの成長が著しく、使う頻度が少ないから、葉っぱの大きさだけが変わっていく
いらない服を売ったり捨てたり、見て見ぬふりしてきた冷蔵庫の中身をあぶり出して綺麗にしたりしながら
仕事のことは大抵覚えてなくて それでもどうせ覚えていないのなら好きなことのほうがいい
どんな形であれ絶対に喜んで欲しいだとか 楽しんで欲しいだとか 相手への望みが絶対的にあって それは傲慢なのかもしれないけれど そうなれないのなら私はそこじゃなくてもいい
週末に入り込まずに済むようなっているのは 幸か不幸か
例えば一日のうちやれることは、指で数える程度のことぐらいしかなくて それに気づいてからは、いろんなこと知っている周りの人たちの凄さにただただ感動して とても悔しくなる
誰も何も言ってないのなら何をしたっていいじゃないか

お互いに会いたいという意思が存在するのが友達だ、ということを聞いてそれならと、有言実行してからというものの 悲しみは夢の底まで追いかけてきてどうにも辛かった。それでも優しくできない人がいるのだから、お人好しもへったくれもない

3種の占いを経ている  毎日飽きずに信じ込んでは 言動のアリバイになってもらっている  それくらい何か行動を起こすことに対して「下手なことはできない」だとか「無駄な時間を割けられない」だとか思ってしまっている ちょっと依存してるみたいで それくらい支えの言葉に飢えている

赤字を跳ね除けながら毎週のように好きな人たちと遊んで それがとても楽しくて、でも楽しめない時もあって 
どうせ、という言葉を言いそうになる度に文字を1つずつ削除して違う言葉に置き換える。置き換えられた言葉で自分の思考をこれでもかと上書きする 

普通に過ごしていたら私はとっくにひとりぼっちの人間なんだと言い聞かせて生きて、いつのまにか迸る上から目線の感情が目まぐるしくもしっかりとあって、悔しくて悲しかった

例えば路傍の花にいちいち感動していたらキリがないはずなのに、雲に覆われた下で目に映るものはひどく落ち着いて見える

真ん中に座るのはいろんな人の目が気になって緊張してしてしまう。どこかの街を自分のものにするには時間がかかって 名もない日々の積み重ねでここまで来たのなら 引越しってやっぱり転機だって思う

過去、多くは一度に全部遂行できるものかもしれないという過信が空中分解して、実は何もしていなかったかもしれないと危ぶむ傾向があった
精算は大事 発散は大事
二度寝をするのは見て見ぬふりを選ぶ故、だ
毎日同じことをやって習慣付けて それが当たり前だったとしてもやっぱり苦痛だったりする  根性が足りないとか 顔を洗わない日はないでしょ?とかそういうことじゃなくて それが呼吸と同等の扱いになったとして、ただの動作になってしまうなら  日々を守るための過程は日々を抜け出せない囲いに化けて変わる 同じ日が二度なかったとして 同じような日を二度も三度も作ることになってしまうのはなにか切ない
背中だけ見て、大切にしたいと思えば思うほど畏れ多くて介入を拒む  他人もそう 音楽の聴き方だってそう

またたく間に次の王子様を見つけて箱庭で暮らすなんて世界イチ簡単だ 誰も誰のこともわからない

浅い眠りで毎晩何度も目が覚めてしまって、本当に起きなければいけない時間はまだ先で、夜は深いくせに私を落としてはくれない。何でだよってもう一度目を閉じても、そうしてみる夢はなかなか良くなかったりする
やっぱり小学生の時が一番楽しかったな、と涙ぐむ

でも、
念願の場所に行けたり、欲しいものがたくさんできて、それを買ったらあれをしてこれをして…とか、そういう欲が有言実行できる環境になれたから、忙しくてタイヘンなんだろう
そういう欲すら、今の今まであまり生まれていなかったような気がしていて、だからこそもう一度感覚を研ぎ澄ましてわたしのやりたいこと、やってみたいことにふれていけるようにしたい
未来は変えられるから、とそれこそ呪文のように唱えているけれど、言葉の重さに囚われすぎて空回りしてしまっていてはきっと元も子もないだろう
なんとなく何とかできるかもしれない、なるようになること、ならなくてもそうなることに悲しみすぎないようにできれば 何もかも肩の力を抜ければいいのにね
夢のまた夢でも、ここがどこかわからなくても
そうなればいいのにね

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