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=お母さん大好き=

(Uploaded on LinkedIn on July 28.)

おはようございます。今日は朝からカタカタタイム。でも悲しいカタカタタイムです。
昨日7月27日の早朝、最愛の母が87歳で亡くなりました。

火曜日の夜に電話があって、「4チャンネルで今面白いテレビやってるで。」 「おかあさん。今日は疲れてるからこれからお風呂に入って寝るとこ。」 「そっか。身体大事にしいや。」 「子供達元気?」 「元気。」 「あ。それはよかった。」

いつものほんとにいつもの会話でした。

木曜日の仕事中に弟から電話。嫌な予感。電話を取ると後ろで心拍数をカウントする機械の音がします。即あかんと思いました。

脳梗塞で意識がない。パニックになった私が連絡をとったのが上司のあさこさん。そしてPeterさん。あさこさんは会議中でリーチできず。

Peterさんにメッセージを入れました。すぐに脳梗塞の情報とこの状況でどのように気持ちを落ち着かせるかのアドバイスをもらいました。

母は常日頃Peterさんに会いたがっていました。祖母とオーラが似ているんです。1,2年前にPeterさんにお願いをしたところTeamsで母と話をする時間を持ってくれて母はとても喜んでいました。

そしてあさこさんから連絡が入り事情を説明すると「Family First、仕事は引き受けるから。」

午後弟と娘と息子と病院に行きました。母は少女のような可愛い表情で眠っていました。

翌日娘と面会に行くと様子が違います。酸素マスクをして呼吸があらくなっていました。あかんかも。娘に伝えたいことを伝えるように言いました。

絶対聞こえているから。私は母の手を握って何回も何回もお母さん大好き。お母さん大好きを繰り返しました。

冷静にと思っても次から次から涙がこぼれます。母は私たちの声を聞いていてくれるようでした。

翌朝午前3時頃に弟から電話があり、危篤でこれから病院に向かうとのこと。私は家で手を合わせて母が苦しまないことを祈りました。

まもなく臨終の連絡。病院に向かう途中、タクシーからみた明け方の空は荘厳でとても綺麗でした。

火曜日に電話で話をして土曜日の朝にはもうこの世にいない。

母は私と子供たちが感受性が強いのをよく知っているので私たちが苦しまないように最期を決めてくれたと私は思っています。

倒れるまで自分の足でしっかり歩き、食事やお風呂も自分でできていました。毎日趣味の詩吟や囲碁を楽しんでいました。とても幸せな人生だったと思います。

そしてどれだけ母を愛しているかを伝える時間も私たちに残してくれたのでとてもとても悲しいですが、こうやってカタカタ自分の気持ちを書くことができています。

木曜日と金曜日、つらくて悲しくて眠れない私の気持ちを真剣に聞いてくださった方々がいます。仕事関係の方、学生時代以降の友人。リンクトインの方。

本当に思いやりのある優しい言葉をかけてもらいました。母に代わって心から感謝の気持ちを伝えさせてください。弱い私を支えてくださってありがとうございました💗

また会社には母の治療が長引いた場合も安心して介護に専念できる環境をとても迅速に準備してもらえました。あさこさんには何度もあたたかい連絡をもらい私はなんて恵まれた環境で仕事をしているか言い尽くせません。

また文学部を立ち上げてくださったみぽりんと文学部のみなさん。文学部のおかげでこうして文章を書きながら自分の感情と向き合い落ち着いた状態を保つことができています。ありがとうございます。

ゆるゆる時間を過ごすことで少しずつ母のいない生活に慣れていければと思います。

写真は母と私です。
お母さん。ほんとに大好きだよ。ありがとう。大好きだよ。

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