フルーツサンドがたべたい
「フルーツサンドがたべたい」
そう唐突に、しかし切実に思った金曜日。
4月から人が減らされ、新しくきた上司は控えめに言ってポンコツで、かわいく言えばポンコツたぬき野郎なんだけど、まあとりあえずどう足掻いてもポンコツで、仕事は終わらないどころか決して枯れることのない泉のようにこんこんと湧いてきて、ここが砂漠でそれが水なら夢のオアシス🌴なんだけど、ここはただのオフィス🏙️という現実を抱えて数週間にわたるノンストップ残業デーを終えた帰り道だ。
家に入った瞬間に、いろいろ溢れて涙ながらに「ふ、ふるーつさんどがたべたいいい」と訴え「え!今日豚キムチだよ!?」と慌てる夫になだめられ、豚キムチを食べ、お風呂に入って、眠りについた。
朝起きたら、いつもわたしより遅い夫がもう起きてて「朝ごはん食べないでね」と言って出かけて行った。30分後に帰ってきた夫の手には輝くような大きなフルーツサンド。
紅茶の食パンのフルーツサンドなんだって。
しっかり紅茶の味がして、甘すぎない軽めのクリームに瑞々しいフルーツがぎゅっと詰まってて、頭のなかでaikoのキラキラが自動再生。羽が生えたことも深爪したことも、ポンコツ上司のせいで心が黒くなったことも、帰ってきたら話すね〜♩
ということで、食べ終えてやっと心で息ができた気がした。ほっ。
翌週も、「フルーツサンド食べたい?」と夫から聞かれたので正直に「食べたい」と答えたら買ってきてくれた。
夫は徳を積みすぎている。このままだと来世はパンチパーマの菩薩になるかもしれない。
この日はベリーの食パンの甘酸っぱい女の子みたいなフルーツサンド。一口食べるごとに心がふわふわもにゅもにゅ形を変えて、まるくなっていく。
SOSのフルーツサンド
思い返すと、社会人2年目、ヒステリックな先輩のストレスで激痩せしたときも、無性にフルーツサンドが食べたくなって、ほとんど毎週のようにフルーツサンドを求めて彷徨っていた。
どうもメンタルが弱ってるときにフルーツサンドを求める傾向がわたしにはあるようだ。
あのしっとりしたパン、なめらかなクリームに、彩り豊かなフルーツたち。
フルーツサンドには、きっといろんなものを補ってくれる力があるんだろうな。押し付けがましくない優しさ、元気、明るさ、柔らかさ、キラキラとワクワク。
もちろんただ食べたいときもある。だっておいしいから。
でもしんどいときに、どうしようもなくフルーツサンドを求めてしまうのも、そして必ずフルーツサンドがわたしを助けてくれることは確かで、つまりフルーツサンドはわたしにとってのアンパンマンみたいな存在なのかもしれない。あんぱんじゃないけど。ややこしいな。
おうちフルーツサンド
自分でもつくってみるかと朝ごはんに何回かつくってもみた。だいぶ心に余裕がでてきた証拠である。
自分でつくるとわかるけど、断面キレイにするの難しいね!
お店のよりは華やかさに劣るけれども、明日の朝はフルーツサンド!と思うだけで寝つきがよくなる気がする。
そして日中も、ちょっとモヤっとすることがあろうと「わたし今朝フルーツサンド食べたしな」って心の中で相手にマウントをとることができるので、平穏が保たれることに気がついた。
わたしが謎にドヤ顔してたら、朝ごはんフルーツサンドだったんだなって思ってください。
甘やかしフルーツサンド
フルーツサンドはさ、全てを受け入れてくれるような抱擁感があって。
食べてるとなんかものすごく自分を甘やかしている感じがあって、そこがいい。それがほしい。もっとほしい。
よくよく考えると、朝から自転車こいでフルーツサンドを買ってきてくれる夫も随分とわたしを甘やかしてくれる存在だな。貴重だな。ありがたいな。来世で夫が菩薩になったら、どうやって知り合えばいいのかな。困ったな。
とりあえず、疲れたなって思ったら、みんなも食べてほしいし、すきな人がなんか疲れてるなって感じたら買ってきてあげてほしい。甘やかしフルーツサンド。おすすめ。