トー横について調べてみて。
実質この架空メンヘラエッセイの3である。
この時から、気になって調べ続けてきた。
ずっと調べてきて色々と感じてきた。
最初は道楽で調べてみたけども、どうしても気になって色々と考えてた。
いつのまにかそれに耽っていて、青年の発達の心理学の本を読んだり、アイデンティティーとか、そういうのを読んでた
最終的にたどり着いたところが、児童虐待。ここまで来たので調べたことを話そうと思う。
トー横を見て最初に感じるのは悪い不良の集団。
だけど、調べるごとに色々な部分が結びつながりより透明に見えるようになった。
メンヘラとは?
最初の頃、ブックオフに行って漫画を探していた。しかし漫画が面白くなかったから、文章の本を読む、そしてどんどんと行き、結果的にメンヘラやヤンデレとかいう本を探してた。
そして見つけたのが愛着理論。
愛着理論の本には、3つの本が書いてあった。
この記事は、初めて真面目に書いたnoteだったかもしれない。
noteを始めた理由はバカで、noteには意識が高い人たちが集まっているから、その人達を馬鹿にするためにあえて無意味な文章を書いてた。
愛着理論では、回避型、安定型、アンビバレント型があった。
この愛着理論では、母子分離時の親と合ったときの反応を観察したもの。
回避型では、親との再会時にも無反応であり、安全基地として機能していない。
安定型は、親が安定基地として機能しており、再開時には身体的接触を求めた。
アンビバレント型では、分離時に不安や混乱を示し、再開すると強く抱き合ったりするが、強い怒りや攻撃を示す。
いわゆるメンヘラはこれにおけるアンビバレント型に当たる。安全基地として働かなかった部分を彼氏などで補う。そのため、彼氏が離れたりすると、不安や混乱を示し、再開すると怒りと同時に相手を持詰めるようになるのだ。
幼少期に虐待を受けた経験を持つ子供は、このアンビバレント型の愛情を発達させる可能性が高いことが分かった。極端な愛着を持つ子供が、大人になっても密接な関係を維持するのが困難になるのことも分かっている。
なぜ不適切な行動に走るのか?
この不適切な行動、ODやリストカットなどの言動は主に、トー横といった存在に限らず起こりやすいと考えた。
まず、「メンヘラ」という言葉は、主に精神疾患を患う人を表しており、手首にまかれた装身具などの特徴があった。
で、その話が広まるとだんだんとそれを誇張する人が現れ始める。
自分が「メンヘラ」と主張したり、「病んでる」としはじめると、メディアなども取り上げみんながそれを知り始める。
そうすると、ある悪い部分が浮き彫りになる。それが偏見である。
ここではスティグマと言った方がいいのかもしれないが、似たような偏見の例を挙げると「おたくの研究」から、「おたく」が生まれ、メディアの影響でとある一定の人を犯罪者と扱うような悪意のある報道がされた。
このメンヘラも、精神疾患でありリストカットをしており、大量の薬を持っているという部分だけが広まり、
より難しい部分が無視され、大衆に理解しやすいように、うつ病や統合失調症、行動化などを取り除いて公にされた。
すると、バックグラウンドを問わずメンヘラっぽい人を「メンヘラ」と呼ぶので、それは自然とラベリングとなり始める。
そうすると、世間は「メンヘラ」という人をヤバイ人と扱い始める。そうすると、自然と差別化が広がり、逸脱へとつながる。
そうすると、不適切な行動を起こす人はそれを「私はメンヘラだから」と言い、ごまかそうとし、社会は「あいつはメンヘラだから」と言い、不適切な行動を起こす人がそれを肯定するようになる。
その結果メンヘラが不適切な行動を多く行うようになる。
そうすると、ストレスがかかりより辛い状況になると自然に「メンヘラだから」と言い、「メンヘラになる」という考えになり、「ODやリストカット」を行うようになると考えられる。
なぜトー横に行くのか?
少しここは、難しいけどもこんな感じだと自分は考える。
まず、このトー横に行くことは、あくまでも子供に限った話ではないと思う。
家→保護施設→街→精神科→保護施設→街に戻る
保護施設で、若者がその保護施設に入ると社会的アイデンティティーの構築をするようになる。
若者が成長するごとに、社会的アイデンティティーを作るために行動をするようになるわけだが、そのアイデンティティーの発達の上で「自分は誰?」のような質問を問うようになる。
世の中にとって「自分はこの世界に適切か?」や、「この状態であるべきなのか?」のような疑問を抱くようになる。
これは愛着障害を発症する可能性も高める。
主に、他人から自分がどうみられるかなどを気にするようになり、それを成長させるためにどこかの組織に所属したりしてみるが、保護施設などの閉鎖的な場所ではそれが不可能であるため、脱走を試みることが多い。
そして、社会的アイデンティティーにおいて特定の場所での社会的文化の価値観身に着けることがある。
その先として、トー横などがあり、その中でアイデンティティーを身に着け、メンヘラなどの考えを身に着け、それを自分の物として獲得してしまうというところにある。
他にも、都会特有の悲しいところや絶望的なところに漬け込む悪い大人の餌食にもなり、その人たちが容易に、今まで与えられなかった愛情を与えるためそれによって依存してしまう可能性がある。
今まで調べたことを書いたが、より現実的な回答を得れるようになった。
そのためここに書いておく。
私が書いたこの話が「病んでる」や、「怖い」と思う人もいるかもしれない。「トー横」を調べることがそもそもタブーや、「メンヘラ」とかかわってはいけないと思う人も多いと思う。
しかしそれは誤りだと言いたい。
彼らは愛情を貰えるはずが、それを失って生きてきた人々なのだ。
高校生にもなれば、見た目は大人と変わらなくなるかもしれないし、彼らも社会の一員として見れるだろう。しかし保護施設などで育った子たちは底以外の社会のことは知らないし、そこで複雑な思いをしながら育った。保護施設に入れなかった子も、愛情を受けれずに育ってきた。
ようするに一番言いたいことは、
避けたり逃げたりするのではなく、向き合って愛情を与えるべき。
ということ、そのため彼らのためにもできることはたくさんあるはず。
一般的な人は、「怖い」、「不良」と避けるにもかかわらず、子供が虐待により死亡すると、「保護施設が悪い。」や、「適切な支援を行なわない日本が悪い」となる。しかし、保護施設に預けられると「安心」、「これで大丈夫」と考える。
まず、保護施設が解決の先ではなく問題の終着点ということ。そして愛情を受けれずに苦しんでる子供の終着点がトー横。だということ。
そして、親などの問題に苦しんでる人には、世の中には様々な愛情があり、その愛を受けることを君たちは人権で認められていることを伝えたい。
そして、その愛情を味見程度でも、むさぼるようでもいいから、是非とも味わってほしい。そして、僕たちはその愛情をより提供できるようになれたらよいと思う。
2023年12月12日~2024~8月18日にわたって無意識で調べてきたことだけども、批判的にも読みながら偏見なしで読んで欲しいと思う。