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ナオキは自分で死のうと決めた。論理的な言い訳もギリシャ悲劇のような物語も、一神教の神からのお告げもなかったが、ナオキは自分の手で計画的に死んだし、あくまで恣意的に死んだのだ。
「ゼロからは何も生まれない」という科学の原理を覆し、まさにその決心は無から生まれでた類のものだった。その後、彼の肉と精神(あるいは魂)は灰となって世界中にばらまかれ、ぼくは息をするたびにナオキを体内に取り込む日常をおくっている。ぼくの肉体が彼の部分からエネルギーを得ていることは事実であり、彼の死に特別な意味を付与するまでもなく彼の死は無駄ではなかった。
ナオキはそのとき二十七歳で、高校時代に蓄えた堅くしなやかな筋肉をまとい、図書館で一日のほとんどの時間を過ごす青年だった。
愛想はよくないが、無愛想ではなかった。自分から他人に話しかけはしないが、他人への応答は教科書的かつユーモアがあった。彼は若者だが若者らしくなかった。若者のように社会の嘘と大人の古さを率直に批判したが、畏れるべきものにはきちんと畏怖の念を抱き、祈ることができた。
高校までの成績は凡庸。大学の卒業論文は主観で語られた部分がほとんどであり、論文の体裁をなしている点と指導教授の怠慢によって密かに修了することができた。
顔立ちは濃く面長で、感情を二重に整えられた目元で表した。女も男もナオキの風貌に魅せられ、種々の関係を彼と持ちたがった。からりと焼けた肌と健康的な髪色、深海から昇ってきたような透明で深みのある声に集まった女たち。男たち。
彼らは腹の底からこみ上げてくる本能をナオキに受け容れてもらいたがった。ナオキは肉体的体力の続く限り、時間の許す限り彼らに応じた。けれども、彼らはナオキとの関係を保ち続ける耐力を失っていた。その耐力を失っていたからこそナオキを求めたのだ。