MENΩN

様々なケアの現場で実務経験を積んで、実践と研究を行ったり来たりしたい人です。「ケアとしての教育」について研究しています。有機農業やフリースクール・放課後こどもクラブ・特別支援学級の先生、介護士をやってみたり。 特別なニーズをもつ子どもたちの訪問支援をフリーランスでやりたい。

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様々なケアの現場で実務経験を積んで、実践と研究を行ったり来たりしたい人です。「ケアとしての教育」について研究しています。有機農業やフリースクール・放課後こどもクラブ・特別支援学級の先生、介護士をやってみたり。 特別なニーズをもつ子どもたちの訪問支援をフリーランスでやりたい。

マガジン

  • 千のプロローグ

    物語が始まりそうな予感…

  • 哲学カフェ MENΩN 対話録

    哲学カフェ「メノン」での対話を記録、考察しました。

  • 読書感想文

    着の身着のまま気ままに気になる本を読んだ気になる木。

  • 哲学者 マックス・シュティルナー(Max Stirner)

    僕の先生の一人です。 ドイツの哲学者でカール・マルクスと同時代を生きました。

  • ケアとしての教育-Education as Caring

    「ケアとしての教育」の理論を構築するために考えたことをまとめました。不登校・引きこもり・フリースクール・特別支援教育について地道に議論を積み重ねていきます。 ―闘うための盾を打つ

最近の記事

吉村萬壱『クチュクチュバーン』

  注意!!!以下、ネタバレ(物語の概要、引用文)あります。  僕が最初に読んだ吉村萬壱の小説は、『ボラード病』。たまたま本屋で見つけ、「ボラード」の正体が知りたくて買った。修士論文を書いていた時期だった。村上春樹にどっぷり浸かっていた時期でもあり、他の小説の文体とテーマを薄情に感じて全く読めなくなった。沼から抜け出す動機をくれたのが吉村萬壱だった。  「なるほど、これがボラード病か」  吉村の小説を読むと吐き気がする。癖になる吐き気だ。癖になる吐き気は危険だと思った。この

    • ぼくの問いとシュティルナーの答え⑤

       シュティルナー哲学の真骨頂はエゴイズム(自己性)です。エゴイズムときくと「自分勝手に振る舞う」というイメージをもつ方が多いのではないでしょうか。不快な気分になる方もいるかもしれませんね。 ✍意図せざるエゴイスト あなたはエゴイストです。僕もエゴイストです。ボランティアに勤しむ方もエゴイストです。意図せずとも誰も彼もがエゴイストです。なぜならエゴイストであることは、存在しているもののと性質だからです。  シュティルナーはこういっています。 「諸子が主要事なのであり、誰もが

      • ぼくの問いとシュティルナーの答え④

         前回はシュティルナーの「唯一者」についてみてきました。今回は唯一者を構成する要素である「唯一性」についてみていきます。 (ぼくの問いへのシュティルナーの答えに辿り着くまでまだまだかかります。端的に言ってしまえるのですが、皆さまにシュティルナーを味わっていただきたい。もう少々お付き合いください)  ✍唯一者の四大元素①概念に現実的な意味を与える。 ②説明不可能性。 ③個体性(唯一無二かつ完全なもの)。 ④自己性=エゴイズムに基づいて活動する。  人間であること。日本人であ

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          詩 無責任で永い物語足裏の皮を擦り減らし 肉は削られ骨はひび割れた 赤黒いものが地面に浸みこんでいく もはや痛みと喜びの区別を見失った頭を支えて 歩き続けることに意味はあるのだろうか ある程度まで行くと靴が用意された こんな頭だから何足も履いてしまう 靴の上から靴を履き重ねるたびに 安心する感じがしてやめられないのだ 地面の感触が分からなくなってくる しまいには、足が在ることも忘れてしまった 余計に喪ってしまった しばらくの間は、痛みはないはず 物語のつづきは考えたく

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        記事

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          詩 せんそうしまくりワールド人と人はせんそうしまくる おおきな銃をつくったり お金のかからないころしかたをかんがえたり 人ともりはせんそうしまくる 人とぞうはせんそうしまくる 人とみみずはせんそうしまくる もりとぞうとみみずはおのれをころす人のめをのぞきこむ 何千年も人のめをのぞきこみつづける もし だいち くも たいよう うみにおもいやりのこころがあって けいさんするあたまがあったならば (あるかもしれない) だいちは365日たてによこに揺れ くもは365日そっぽを

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           ポールは自分で死のうと決めた。  きっかけは一滴の恐怖。ぽつん。  本当にぽつんという音がしたのだ。ぴちょんでも、どぼんでもない。より正確には「ぽ」と「つん」にほんの僅かな間があった。海に降り注ぐ雨音のなかから一滴分の音だけを取り出したときの音に似ている。街中に降り注ぐ雨音ではいけない。街の雨粒は海のそれよりも小さいし、街は広大で重厚な水面をもたない。海の雨音を長い時間かけてろ過して、ようやく滴り落ちてきた一滴の音。ぽつん。   ポールはタカシの訃報を聞いて、呆然と立ちつ

          マックス・シュティルナー『唯一者とその所有 上・下巻』事項索引

          あ行 愛・・・上56-57/下154,201,203,206-208,210-212,215,228-229,237 エゴイズム か行 革命 家族・・・下99,104 換気される感情 感情・・・下209 完全 教育 共産主義 狂信 競争 享受 共同性・・・下99,104 キリスト教 近代 権利 公共の福祉 交通 国家 固定 孤独 固有 さ行 殺人・・・下56 思惟・・・ 自我 自己意志 自己性 社会・・・下97 自由 自由主義 植物 所有 神聖 真の人間 真理 聖 精神

          マックス・シュティルナー『唯一者とその所有 上・下巻』事項索引

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          詩 はじまり優しいお父さんとお母さんのもとに生まれて すくすく五体満足 先生と友だちと出会って ふつうに結婚して 子どもを何人か授かって ほっこり死ぬ この街では僕の命はどうやらうまくいきそうにない わかってる そんなこと誰よりもわかっているさ 一人で逝こうとすると きみは現実や勇気 神までをももちだして救いについて語りだす わかってる けれども、だからといってこの身体はやめない 僕はそんなきみを圧倒的に支持する 満ち足りているのに奪いあう 拾った愛のために自由を棄

          暴力的現実を克服する人間の姿を思い描けるか?

           ケアとしての教育理論の足元にこの問いが横たわっている。 ✍子どもたちに伝えられること。 たとえば。  パリで起きた同時多発テロ事件(現地時間2015年11月13日)をうけてフランス政府は、過激派組織「イスラム国」が拠点とするシリア北部ラッカへの空爆を強化した。各国首脳が「テロとの戦い」を決意し、連携して取り組む姿勢を見せた。こうした国際社会の動きと裏腹に、中東・アフリカ・欧米・アジアなどの地域(80か国以上)から若者たちがイスラム国に加わっている。現在ではイスラム国の成員

          暴力的現実を克服する人間の姿を思い描けるか?

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          詩 やっぱり、すききみが、ぼくのことを、七回もふった夜。 ぼくの口のなかは渇ききっていて 呼吸はおちついていて 自分の血が管を流れる音がはっきり聞こえた。 ぼくの一回のすきに、きみは七回も「すきじゃない」と返した。 ついに、「一生涯、愛することはない」とも言った。 それでもぼくらは同じ布団の上で隣り合って寝ていた。 今夜が最後になるかもしれない。 きみの寝息をあとで思い出せるように、めいっぱい耳をそばだてた。 きみと同じ布団で寝ている自分を貧しく感じて、床で

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           タカシは自分で死のうと決めた。  ナオキの自死に立ち会ってからというもの、タカシの自死への決意は日に日に強くなっていった。今では決意は習慣へと昇華した。ベッドに入る前の歯磨きと同様に、自死もまた習慣のサイクルの一部となっている。ただ、実行に移せないのには理由があった。タイミングが合わないのだという。  例えば、歯磨きは食後や就寝前という前動作がトリガーとなって引き起こされる。歯磨きに至る流れというものがあるように、自死に至る流れもまたあるのだ。けれども、タカシは流れをつか

          ぼくの問いとシュティルナーの答え③

           今回はシュティルナーの人間観について詳しくみていきますよ。  ✍「唯一者」とは何か?  ぼくは「唯一者」です。あなたも唯一者です。  道端に咲いているタンポポも唯一者。ねこも金魚も、オケラだって唯一者なのです。シュティルナー曰く、  「どんな羊、どんな犬でも、「正しい羊、正しい犬」になろうと努めたりはしない。どんな動物にとっても、己れの本質が、一の課題として、つまり、現実化さるべき一の概念としてあらわれることなどない。彼らは、己れを生きつくすことにおいて、つまりは解体し

          ぼくの問いとシュティルナーの答え③

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           ナオキは自分で死のうと決めた。論理的な言い訳もギリシャ悲劇のような物語も、一神教の神からのお告げもなかったが、ナオキは自分の手で計画的に死んだし、あくまで恣意的に死んだのだ。  「ゼロからは何も生まれない」という科学の原理を覆し、まさにその決心は無から生まれでた類のものだった。その後、彼の肉と精神(あるいは魂)は灰となって世界中にばらまかれ、ぼくは息をするたびにナオキを体内に取り込む日常をおくっている。ぼくの肉体が彼の部分からエネルギーを得ていることは事実であり、彼の死に特

          ぼくの問いとシュティルナーの答え②

           前回は教育への問いから出発し、ぼくの素朴な人間観について書きました。今回はシュティルナーの人間観に触れながら、彼との出会いについて書いていきます。(出会いについて書くって、どれだけぼくは彼のことが好きなのでしょうか笑) ✍シュティルナーの人間観 ぼくたちが「人間」とよぶものを、シュティルナーは「人間なるもの(Menschen)」とよびます。  「歴史は、人間なるものを探しもとめる。だが、人間なるものとは、私であり、君であり、われわれであるのだ。一の神秘的本質として、神的

          ぼくの問いとシュティルナーの答え②

          ぼくの問いとシュティルナーの答え①

           ぼくがシュティルナーを深く理解したい理由について書きました。  ぼくの問いは『教育の意味とは何か』です。  「意味」とは、人間を理性的に突き動かす理由となる要素です。  「教育の意味」を問うことは、人間を教育することへと理性的に動かす理由となる要素を探すことです。  ぼくの問いには、「人間は教育しないではいられない」という前提があります。人間にとって教育は「よい」もの。だから、教育しないではいられない。人間の本性(ほんせい)が教育を求めているのです。人間は教育に何を期待

          ぼくの問いとシュティルナーの答え①