対価をきちんと支払うということ。
本は、できる限り新書で買うことにしている。
それは、その本を生み出した作者やその周りの人びとに、自分が支払った対価がきちんと届くように、と考えているからだ。だから基本、ぼくは古書店には行かない。
これはあくまでぼく個人の考えであって、だれかのやり方が間違いだとか、否定したいとか、決してそういうことではない。
冒頭2文ですでにもっとも言いたいことを言ってしまったわけだけれど、気をとり直してそのことについて考えていることを述べていきたいと思う。
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こう思うようになったきっかけは、いくつかある。
10円を争う牛丼チェーン店の価格競争。
対価に見合わないサービスを求める理不尽なクレーマーの動画。
などなど。
なんかみんなが疲れているなぁ、と思った。このまま世の中はどこへ向かうんだろう。安ければいい、みたいに、気安く使われ、捨てられ、忘れられ、ものの価値はどんどん壊れていくのだろうか。
そんな世の中は、嫌だ。
きちんとしたものに適切な対価を支払って、お互いが気持ちよく利益を享受できる世の中でありたい。
声高にそれを叫んで世の中を動かす力はぼくにはないかもしれないけれど、そのために自分ができることは何かと考え、実践することはできる。
それが、きちんと対価を支払うということだ。
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ぼくはほぼ毎日、書店へ足を運ぶ。
当然そこには膨大な数の本が並んでいる。小説、エッセイ、コミックなど様々なジャンルのものがあり、人気のものもあれば、あまりそうでもないものもあるけれど、どの本にも言えることは、それを生み出した作者が必ず存在するということだ。
1冊の本を前にして、これはだれかの血と汗と涙の結晶なんだ、なんて常に感じている人はそういないかもしれない。
でもきっと、それは事実だ。
目の前のその本は、だれかが命がけで世に送り出したもの。
作者の経験、考え、メッセージ。執筆や取材にかかった時間。出版社、製本業者、書店もそう。
だから、自分がそれを手元に置きたい、読みたいと思ったときには、相応の対価を支払わなければならない。
相応の対価というのは、本の裏表紙に記載されている価格のことだ。
それは、作者が創作をし続けるために、出版社が良い本を読者に提供し続けるために必要な費用が合わさって決まるものなのだと思う。
もしそれがきちんと作者のもとへ届かなかったとしたら。
作者の知識、経験、人生をかけたものはその価値が見失われてしまう。一度安く買うことができてしまったら、人はそれにもとの対価を支払おうとはしない。
それはただちに作者が創作を続けることが困難になってしまうリスクにつながってしまうのではないだろうか。
自分の価値を見失い、創作に自信をなくし、時間も労力もかけられなくなる。結果生まれたものは人びとに評価されず、作者はまた自分の価値を見失ってゆく。
そうならないために、作者が創作により力を傾けられるように、正しい価格で本を買う(=きちんと対価を支払う)べきなのではないかと、ぼくは思うのだ。
それが結果的には、読者であるぼくらの感動に結びつくことになるのだから。
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繰り返すが、ぼくはだれかの考えを否定したいわけではない。だから、古書店で本を買ってもかまわないと思う。そこでしか見つからないものもあるだろうし、どうしても欲しい本が新書では手が届かずに、やむなく古本を選ぶこともあるだろうから。
ただそのときは、せめてお金に代わる対価を支払うことを忘れないようにしたい。
それは、感謝と敬意。
安く買えた、ラッキー!ではなく、ありがとう、きちんと役立てます、と。
その本に携わった人びとの苦労は、それだけでもきっと、すこしだけ報われるのではないだろうか。
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対価とは本来感謝や敬意であって、それが便宜的にお金に形を変えているに過ぎないのだとしたらどうだろう。
これは仮定と言うよりも理想と言った方が正しいかもしれない。
受けとる側がものの対価にふさわしい見返りを求める。ものを提供する側が全力でそれに応える。
そんな互いの気づかいが、単なるものの売り買いのあいだにすこしあたたかい何かを生み出すのではないか。ぼくは、そのように思う。
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これまで述べてきたことは、当然本だけに限らず、音楽や美術品はもとより、身の回りのあらゆる有形無形のサービスにも言えることだ。
だれの仕事も成り立つためには相手が必要で、何かの分野でだれもがプロなのだと思う。ということは、自分がさまざまな分野のプロに期待し求めるものは、だれかにどこかでそのまま自分にも期待され求められているものなのだ、ということにもなるのではないだろうか。
前に某缶コーヒーのCMで、「世界は誰かの仕事でできている」というフレーズがあった。
これまで述べてきたことは結局このひと言に集約されるのではとこの記事を書きながら思ってしまい、すこし汗をかいてしまった。
これも、プロの仕事。
CMだから、観るのはタダだ。でもそこに自分のこころが動くようなことあるから、感謝や敬意をもって接することができる。
だれもが自分のこころが動くような何かとの出会いを日々経験していると思う。だからそのときは、お金でも感謝や敬意でも、そのとき適切な対価をきちんと支払うことを、みんなでもうすこし意識してみてはどうだろうか。
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《おわりに》
「世界は誰かの仕事でできている」。このCMをご存知の方は多いと思いますけど、ほんとうにこれ以上ないくらい、そうだよね、とポジティブな共感性をもって、こころにストンとはまるフレーズだと思います。
やっぱりプロってすごい。
負けないぞ!なんて言ったら失礼ですけど、そんな気持ちでこれからも頑張りますのでお付き合いいただけたらうれしいです。
本日もさいごまで読んでいただき、ありがとうございました。