観察すること。
この花を美しいと感じて写真に収めたいと思うときには、その前にやるべきことがある。
ひと言でいえば、それは、観察すること。
なぜこの花を美しいと感じるのか、それをしっかり観察して、その理由を、口に出さなくてもいいけれど、ちゃんと言葉にすること。
それが、大切なことなのだと思っている。
そうすると、花ではない、それ以外のものにも目が行くようになる。
この花が美しいと感じるのはなぜか。
それは案外、そうしたところに要因があることもあるんだ。
細長い茎が、風になびく花を可憐に感じさせる。
健康な土が、濃い緑色の大きな葉が、花に生命力を宿す。
ちいさなつぼみが、未来への希望を感じさせる。
飛び交う生きものたちが。
明るい空が。
そよぐ風が。
ときに、雨が。
まわりの景色が。
花の美しさは、多くの場合、それ単体で成り立つものではない。
輝き、スポットライトを浴びる主役のまわりには、ときにそれを彩る存在が欠かせないのだ。
それがわかると、これまでさして興味のわかなかった花たちのことも気にするようになる。
それらをよく観察して、美しいと感じられる理由を探して、写真に収めていく。
突き詰めると、条件さえ整っていれば、どんな花も美しく感じられるということなのかもしれないけれど。
写真は多くの人にとって趣味だと思うから、気楽に撮ればいい。
何となくキレイ!でもいいかもしれない。
けれど、美しいと感じる理由を探すというプロセスは、決して無駄にはならないような気がしている。
しっかり観察して、対象だけではなく、まわりもちゃんと見て。
美しいと感じる理由を探して。
これからもぼくは、そんな気持ちを忘れずに、写真を撮れるようにしたいと思う。
ありがとうございます。
<おわりに>
これまで花を撮ってきて感じたこと。
それは、美しさの要因は一つではなくて、一期一会である場合すらあるのだということです。
キレイだと思った花が、次の瞬間輝きを失っていることがあります。
逆に、そうでもないかなと思っていた花が、急に可愛らしく、凛々しく、魅力的に映ることもあります。
これって人も同じです。
その人がいつもほんとうに美しいのかどうかなんてわからない。
これはネガティブな意味ではなくて、いろんな側面や外的要因があってこその魅力なんだよという話です。
疑ってかかるのではなくて、受け入れていく。
そうすれば、その人がより素敵に映るチャンスも広がりますよね。
逆の懸念ももちろんありますが。
粘り強く、しっかり観察して。
そうすれば、何にたいしても理解が深まります。
当たり前のことを偉そうに言っていると思いますが、これはなかなか簡単ではありません。
日々穏やかに過ごせるように、こんなことをすこしこころにとどめてみると面白いかもしれませんね。
一番言いたかったことを「おわりに」で言う癖がついています。
もっとうまく組み立てなきゃいけないな。
いつもお付き合いありがとうございます。
今夜も素敵な時間をお過ごしください。