僕達の物語
はじめまして、ひとり親で娘2人と毎日ワイワイガヤガヤやっています。
本来であれば自己紹介をしておきたいのですが(プロフィール欄には書ききれません)まずはこの記事を読んでいただいて、気になる方は次回、自己紹介文を載せたいと思っているので、そちらも読んでみて下さい。
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【妻は帰らぬ人に】
2018年8月20日 AM6:13。
妻の顔色は真っ青で、冷えた身体は死後硬直も始まっていたと思います。
助けて欲しくて救急車(119)を呼ぼうと思ってかけた先は110番(警察)
結果、これが正解だったと後から知る。
人は混乱すると本当にこうなると言う事を、肌で感じました。
救急隊から電話を頂き、心肺蘇生法を聞きながら必死に心臓マッサージを行いました。
1push目で異変に気付き、「もう無理・・・」と声に出してしまいました。
救急隊の方からは「諦めないで下さい!救急隊が駆け付けるまでずっと続けて下さい」と怒られました。
10分程でしょうか?ずっと声を掛けながら必死に胸骨の下辺りを押しました。
(その数日後、出来なかった悔しさから心肺蘇生法の講習を受講しました)
救急隊が駆けつけ救急車で市内の病院へ運び込まれ、看護師さん達による懸命な措置も虚しく、
「8/20 ○時〇〇分・・・」死亡を確認した時に言われたり、テレビで見るアレですね。この時点では正直まだ夢だと思っていました。
ベッドの上で寝ている妻に、泣いて抱きつきました。
悔しいのに、悲しいのに、でも点滴をしたり、切開をして手際良く処置をしてくれた看護師さんには、心から「ありがとうございます」と言いました。
「奥さんはどんな方だったんですか?」
「どんな所が好きでしたか?」
たわいも無い会話で僕の心を落ち着かせてくれました。
看護師さんに「側に居て、何でも良いから話しかけて下さい」とお願いしたのです。
呼吸が整っていない事から、手足が痺れていたのも憶えています。
覚悟もクソも何もありませんでした。
むしろこんな事考えた事もありませんでした。
何も知りませんでした。
子供達も悲しみ、僕達は沢山泣きました。
立っているのがやっとで、お悔やみに来てくれた皆さんの前での笑顔なんて、空元気も空元気。魂の抜けた表情だったと思います。
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【人生何が起こるかわからない】
結婚当初、妻を愛して、数多くの誓いや夢があり、僕達の道を1歩ずつ進むように長女が産まれ、親としての経験を積み、社会人として必死に仕事をして次女が産まれました。
数年後こんな人生になるなんて、それまでは1mmも考えるはずもありませんでした。
翌年春には、次女は卒園を控えていました。
小学校に入る支度も順調に進んでいました。
親として僕達は感動の時間を共有できたはずでした。
生きていれば沢山の事を経験しますが、望んでもいない、誰も幸せになれないこんな残酷な事が実際に起きるんだなと実感しました。
神様って本当にいるの?ヒドイです。
この事実は変えられないので、事実と向き合い、ほとんどワンオペで任せて来た家事や子育てと向き合う事になります。
今ではアパートに3人で暮らしていて、家事も子育ても僕がどうやっているのか、
僕なりの生活を記して行きます。
これは子育てを頑張るひとり親の方や、共働きで頑張る家族の参考にもなってくれたら嬉しいです。
父親なので大した事はやっておりませんが、仕事と家事見て頂いて、またどうやって身につけて来たのか、僕の成果が誰かの力になれたら良いなと思います。