ゲームをクリアすることでしか摂取できない栄養素がある。ゲームクリアハイ
※追記
寝る直前の夢うつつな状態で勢いだけで書いたので文章はボロボロです
ゲームをクリアしたことによってハイの状態になる。収まらない高揚感。こうなると文章を吐き出さずにはいられなくなる。
ゲームをクリアしました
2021年12月5日、午前3時頃、「アサツグトリ」というゲームをクリアしました。その後、お風呂に入って寝ようとしたものの、気づいたら現在、朝5時30分。自分はゲームクリアハイの状態に陥ってしまいました。
「アサツグトリ」の感想やレビュー自体は後にチラシの裏でゲーム鈍報にて詳細な記事を書くつもりですので、気になった方は、そちらをご参照ください。
ゲームクリアハイ
約20時間かけて、ようやくクリアにたどり着いた先に、えも言えない高揚感が収まらなくなってしまいました。良いゲームをクリアすると必ずこの境地に至ってしまい、本当に眠れなくなってしまいます。これを味わうたびに、だからこそ、自分はゲームが大好きなんだなと実感します。
感想やレビューは冷静になってから書くとして、今回はその残り滓みたいな駄文を眠れないのでダラダラ文章にしていきます
強烈な達成感と壮絶な喪失感。
ゲームというエンタメがこの世で一番好きです。それは漫画、アニメ、映画などでは得られない特別なものがそこにあるからです。
ゲームというのは、自分が操作するキャラクター。いわば自分の分身ともなるようなキャラと、長い時間とも過ごし、何かの目標にともに向かいます。今回のゲームでは約20時間というものでしたが、だいたいのゲームはこれくらいの長時間、1つの物語を達成するのに費やします。これだけの長い間、自分の分身を操作し続ければ、それだけの感情移入。クソでかい大きな感情がその中に入っていくのです。20時間もの苦楽をともに味わえば、それはもうえも言えない強い感情が自ずと乗っかってしまうのです。
そしてこれをクリアするということは、その苦労を乗り越えた達成感。そしてそれをもう味わうことができないんだという喪失感が同時に襲ってきます。この両方がゲームをクリアしたときに得られる高揚感。自分がゲームクリアハイと呼んでるものです。それだけ大きな感情が乗っかった20時間が達成されれば、それだけ大きな感情が動くものです。
ゲームはストレスとその解放
たくさんのゲームをクリアしてきてわかったことは、ゲームとは自分にストレスを与えてくれるものであり、そしてそれを乗り越えた先の、ストレスからの解放こそ、ゲームの楽しさだと思います。だからこそ、20時間という長いストレスを与え続け、それが今すべて解放されたこの瞬間、一番脳が気持ちいいと感じてしまうのかもしれません。
たぶん、精神的アヘンだと思う
クリアした瞬間はただの達成感程度だったのですが、クリアしてしばらく、その喪失感に襲われたことにより、脳がチカチカと痛むような、莫大な感情に押しつぶされかけている。この高揚感や気持ちよさ、脳のはじけ方。こんなにも気持ちいいものを味わって感じたことは、そりゃ精神的アヘンだと言われても仕方のない娯楽なのかもしれないということ。何を馬鹿げたことをと思っていたが、ゲームクリアハイになった脳に改めて問いかけてみると、真っ向から否定できない状態になっていた。それくらいの幸福感があった。
だからゲームという文化が大好きだ
例えば今回は「アサツグトリ」というゲームをクリアしたことよる高揚だったが、これまで、たくさんのゲームをクリアしてきて、たびたびこういう状態になっていたことを、改めて思い出した。
今でも大好きだと言えるゲームをクリアしたときは、いつも今回のような達成感と喪失感をあわせた幸福感で脳が焼け焦げていた。これは数時間のゲームをクリアしたときも、数十時間に及ぶ長編RPGをクリアしたときも、似たような現象になりました。
一つの「物語」というものが終われば、似たようなことを味わうが、ことゲームにおいては、この感覚が他の比ではないほど、非常に強く感じる。だからこそ、これを味わうために、ゲームを遊んでいるのかもしれない。
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