父親との思い出#3
父親の葬儀から1週間が経った。早い。
今日は朝6:30〜8:00過ぎまでウォーキングして、そのままの勢いで洗車をし、更に家の周りの雑草をひと通り抜いた。それからシャワー浴びて、ゆっくり朝ごはん食べたりしている。
もうなんか申し訳ないくらいに完全に日常だ。
母親が一人で心配なのでちょこちょこLINEしてるけど、今はまだ手続きとか色々あって忙しくしている様子。その方が良いのかな。
さて、父親の思い出ももう後半戦になります。
大学に進学し、そろそろ就職活動かなぁって時に僕と父親はかなり揉めた。
今まで特に揉めたことはなかったので、初めてぶつかったことになる。
僕は4人兄妹の長男。父親も長男。
父親は家業(僕の祖父が起こした製造業の会社)を当然のごとく継いだ。
時代背景とかもあるだろうし、男兄弟がいなかったってこともあったと思う。
で、父親は僕にも同じことを求めてきた。
ただいきなり父親の会社に就職するのではなく、その前の修行先?として取引先へ就職口を用意していた。
ここに就職しなさいということだった。
ただ僕自身、父親の会社の仕事には全く興味が持てなかったので断った。
これは本当に申し訳ないと今でも思うけど、本当に興味が持てなかった。
元々、興味がないことには力を発揮できないというか、力が出ない性分で、父親の会社で自分が働くイメージが全く持てなかった。
これは今でもそうで、実際に父親の会社がどういうものを作って、どういう仕事をみんながしているのか、いまだにほとんど知らない。
1ヶ月ほど母親も交えて話をする機会があったけど、僕のほうが結構頑なだったこともあり、結果僕は僕の進みたい方へ進むことになった。
母親から聞いた話だと、父親の会社の同業者で付き合いもある親しい会社が兄弟で経営していたらしい。それを見てあの会社のように将来は僕と弟の2人3脚でやらせたいとぼんやり考えていた様子。
結果、父親の思い描いたとおりに現在はなっていなくて、本当に申し訳ないと思う。
けど、当時の僕は父親の会社での仕事に本当に興味が持てなくて、他のことに興味があった。
結果として、他の会社に就職し、働き始めたのだが、それ以降その時のことがわだかまりとなり、数年間はあまり話をしなかった。特に仕事の話はお互いにとってアンタッチャブルだった。
しばらくはギクシャクしていたのだが、結婚を機にちょっと改善したり、弟が父親の会社に就職する際に逆に父親に相談されたりということがあったりしながら少しずつ仕事の話もするようになった。
社会人になって本格的にお酒を覚えたこともあり、お互い酔いながら話すこともちょこちょこあって、少しずつ良い関係になっていたように思う。
孫が生まれたのも大きかったと思う。
そして仕事でもちょっとだけ接点が持てるようになる出来事が起きた。
当時僕が勤めていた会社がASEANへ進出することになったのだ。
僕がその担当になり、シンガポール、タイ、ベトナム、マレーシアなど色々なASEANの国を視察した。(僕が提案したので当たり前だけど)
その時にめちゃくちゃ協力してくれたのが父親だった。
父親の会社はマレーシアに現地法人があったので、僕がマレーシアに行くことを伝えるとすぐに現地法人のManaging Directorを紹介してくれて、結果としてそのMD繋がりで現地の人を色々と紹介してもらえた。
最終的にASEAN進出の最初の国はマレーシアに決まった。
これは父親の助けがなければおそらく違う国になっていたように思う。
そこから2年半くらいマレーシアにもコンドミニアムを借り、日本と行き来する生活が始まったのだが、実家に帰るたびにお酒を飲みながらマレーシアのことを父親と話した。
また、マレーシアで父親の会社のマレーシア法人のMDの方と飲む機会がちょこちょこあり、その人経由で、父親の仕事ぶりとか、考えとか、僕に対する思いとかを聞けたのは本当に良かった。
今考えると、父親の会社の人から父親のことを父親抜きで飲みながら聞く機会ってかなりレアケースだと思う。
そういう機会が一度だけじゃなく何度もあって、本当に色々な考えに触れることが出来て、僕はそこで1段成長できたように思う。
マレーシアに行かなければこういった経験は出来なかったので、あの時色々とスピーディに助け舟を出してくれた父親には本当に感謝している。
結局、父親が思い描いていたように一緒に働くことは一度もなかったけど、父親が働いてる風景をちょっとだけ垣間見ることが出来たのは本当に良かった。
あとちょっとだけ続きます。