あなたの中から生まれたことだけをきかせて あとは燃やして
好きなひとたちと話しているとたまに思うことがある。
魂から思っていることを話して。どこかで借りてきた言葉や価値観はあなたの口から聞きたくないよ。
定型の会話や借りてきた言葉や誰かが決めた普通を過剰に憎んでしまう。好きなひとが相手だと、すごく価値のあるその人の考え方とか言葉とかが、無価値の物に置き換わってしまっているようで悲しい気持ちになる。
その中でも一番、自身を否定する文脈で「普通こうだよね」とか言われるとイーッとなる。親だって友達だって恋人だって、一番住みたい人と住めばいいし、一緒にいたくない人とはいなければいいし、必ずしも関係性に名前をつける必要はないし、連絡なんて取っても取らなくてもいい、したいようにすればいい。普通こうとかこの性別だからとかこの年齢だからとか全然関係ない。そんなの聞きたくないし、あなたみたいな素敵な人がそんな些末なことを気にしないでほしい。星野源だってそう言ってるし。
しかし、言うまでもなく、他人がどう考えようが、何を重んじようが、私には関係がないし、ましてや糾弾する権利なんて少しもない。それこそその人の自由だ。
そもそも、本当に思っていることを話してもらえるかも分からない。もしそうだとしても、それぞれには私にはわからない事情があって、必ずしも普通を捨てられない。自分もそうだし、分かっているはずなのに、半ばお願い、という気持ちにまでなってしまう。
なんて傲慢なんだろう。何様のつもりだ。でもどうしても思ってしまう、あなたの中から湧き出てきたこと以外はいまここで燃やしてほしい。
いつからこんなふうになったんだろう。