ほとんど会わないけど心が同じところにあるひと 好きなひとたち②
年に1度くらいの頻度でしか連絡を取らない、かつ会わない人がいる。私はその人のことを本当に心から大事に思っている。
会うときはその全部の時間とその前後1週間くらいが特別に感じるし、会ったときのことを思い出せるものが欲しくなってしまう。例えば、ふたりで公園のベンチに座って話したときには、そこに落ちていた石をこっそり持って帰って思い出にするという湿度の高いことなどをしてしまう。話した後は、別の物語や現実で上書きしたくなくて、できるだけ本を読んだり人と話したりしないようにする。こわい。
その人とは一時期ほとんど毎日同じ場所で顔を合わせていたが、所属が別になって、頻度を見つけないといけなくなった。その人は私とたくさん会いたいとは思っていないかも知れないし、私も自分のベスト頻度がよくわからなかった。ただわかっていたのは、ふたりとも人間関係がコストで自分勝手で視野が狭くなりがちで身近な人を大切にする能力が低い(少なくとも私はそう)。会う頻度を高くしたり、友達とか恋人とか家族とか関係に名前をつけることがあったりしたら、無になってしまうかもしれない。そんなのは絶対に嫌だ。嫌なので、頻度は自然に任せたら、年に1度くらいになった。
関係性については、私だけが密かに大事に思っているのでもよかった。その人も同じ想いではなくても全然問題なかった。ただ1回会ってみんながいる中で少し話せただけで、その後の1年くらい「こりゃ幸せだな、困っちゃうな」とにこにこできていた。
でも、本当に偶然のきっかけで、同じ気持ちかどうかを確認することになってしまった。飲みに行くことにして、確認したらきっとお互いの求めるものに齟齬や気持ちの大きさの開きがあることが明らかになって終わってしまうと思うと、言えないままお店の閉店の時間になって、じゃあそろそろ帰ろうかとコンビニに寄って、その人がこのあと家で飲むと缶ビールを買っていたのをいいことに、近くの公園でその缶ビールの分だけお話しませんかと誘った。
しどろもどろにお互いの気持ちを確認する必要が出てしまったという説明をした。手が震えているのがわかった。そうしたら、自分の気持ちを話してくれた。私が思っていたことと全く同じだった。喉が詰まって、体の芯がぴりぴりした。それがどれだけ嬉しいかを伝えようとしたけれど、言葉がうまく出てこなかった。もうこれでいい、一生他に素敵なことが何もなくてこの数時間を反芻して生きていくのでもいい、人間関係はこれでいいんだ、こんなことが起こるんだ、と思った。公園で別れて、帰り道は嬉しくて嬉しくてひとりで泣きながら歩いた。
これまでと同じ頻度で、関係に名前は付けずに、でもせっかくお互いの気持ちを確認できたので、本当にどちらかに助けが必要なときは近くにいようということになった。
あれから1年くらい経ったけれど、夢だったのかもと今もまだ思う。