『スポーツ観戦はコスパ最低の娯楽だ』
スポーツ観戦って、「世界一コスパの悪い趣味」だと思うんですよ。まず時間の拘束がべらぼうに大きい。2、3時間は当たり前で、野球だと4時間以上になることもありますよね。そして、その長時間を費やした結果が「勝ち負け」というはっきりした二択に依存している。自分の応援しているチームが勝てばテンションが上がるけど、負けたら一気に落ち込む。しかもその感情の起伏が、自分ではどうにもできない範囲で決められてしまうんです。
しかも、それだけの時間を費やしているのに、実際にはただ「見る」だけ。例えば、自分でスポーツをやるのであれば、勝ち負け以外の部分でも体を動かした達成感や健康促進という実績が得られますし、美味しいご飯を食べるなら少なくとも嫌な気持になることはないでしょう。でも、スポーツ観戦は勝敗という白黒に完全に依存していて、そこに満足度の大部分が左右されるんですよね。
さらに、仮に推しチームが勝ったとしても、そこには必ず「別の人の推しチームの負け」が存在します。誰かが必ず不快になるようなになっているスポーツ観戦という趣味は、とりわけSNSとの相性が最悪です。折角推しチームが勝ったのに、「判定がおかしいから負けた」「あいつのプレーがダーティ過ぎて不快」など、見たくもないマイナス要素が入ってくることもしょっちゅうです。本来そこから喜びを得るためのはずだった娯楽が、いつしか満足に喜びを表現することすらできない状況にハマっているかもしれません。
あと、自分の応援しているチームの負け試合を、結果が分かっているのにわざわざ追っかけで見返す人って結構いますよね。もちろん、それ自体は熱心なファンの行動だと思うし、悪いことだとは思いません。ただ、例外は作っていいと思うんですよ。例えば、負け方がひどいと分かっている試合や、「これで〇連敗目が確定した」といった試合を、結果も分かっているのに改めて見る必要があるのかというと、僕はそうは思わないんです。明らかに見る前から自分が良い感情を得られないことが確定しているのに、そこに何時間も費やすのは、趣味としては少し不健全だと思うんですよね。
こうした風潮が生まれる背景には、SNSでのコミュニティ意識があると思います。「この人は試合をきちんと見ているか」が、ツイートの量や内容で可視化されてしまうからです。もし何も発信しない日が続けば、自分の存在が推しチームのファン・コミュニティから消えてしまうような気がしてくるのです。それが原因で、「自分はちゃんとしたファンなんだ」と示さなければいけないという無意識のプレッシャーを感じている人も多いんじゃないでしょうか。
だから、見てる側はもっといい加減に推しチームを追っかけるべきだと思います。すべての試合を無理に追いかける必要はないし、負け試合を無理に見ることでストレスを溜めるくらいなら、観戦の仕方を見直してもいいんじゃないかなと思います。見る試合を厳選さえすれば、コスパの悪さはいくらでも改善できます。「真のファンであること」を目指す前に「真人間として心穏やかに過ごすこと」を目指すのが優先なんじゃないか、僕はそう思います。
と、さも俯瞰したファン目線で語ることによって、今日で推しチームが5連敗目を喫したしたという事実から、なんとか目を背けることに成功。よし、これで今日も穏やかな気持ちで一日を終えられるな。