夏は嫌い、だけど、
じりじりと照りつける太陽の下、蝉時雨を全身に浴びながら自転車を走らせる。余裕を持って家を出ればいいものを、今日もやっぱり遅刻ギリギリ。全力で脚に力を込めるせいで噴き出す汗が増量する。服がじっとりと背中に張りつく。不快だ、一刻も早く涼しい部屋に飛び込みたい。
夏は嫌いだ。汗っかきなのがバレるし、おでこはすぐにテカるし、寒いことよりも暑いことの方がずっと耐えがたい。できることなら外に出たくない。これからさらにこの暑さが増すだなんて考えたくもないな。
どうにか授業開始時間ちょうどに講義室に駆け込む。前後左右、一つずつ空けて埋まる席。この光景にもとっくに慣れた。目の前の席が空いていて、しかもその隣には運よく友達が座っていたのでちょっくら失礼、とこそこそ入り込んだ。
スクリーンに映し出されるスライド。今年来たばかりの若い先生の張りのある声。うたた寝する斜め前の人。講義なんておかまいなしに、カタカタとタイピングの音を響かせながらレポートか何かに追われている人(この音がけっこう気になってしまう)。
今期はほとんどオンライン授業だから、人と話すのはおろか、こうしてたくさんの人の様子を眺める機会も格段に減った。おかげで金曜日以外に大学には用がない。感染の不安が解消されるのはいいことだけれど、何か大事なものを手放してしまったような気もする。
夏は思い出の宝庫だった。
夏祭りにプール、ラジオ体操、宿題の山、花火大会。4年に一度ならオリンピックも。夏にしかできないことって本当にたくさんある。
もう10年もの間、私は夏をコンクールに捧げてきた。毎日炎天下を学校へと向かい、必死に練習してヘトヘトになって家に帰る。帰り道ではヒグラシが鳴いていて、真っ赤に焼けた空がおかえりと声をかけてくれる。
あの人と昔の密かな想いを共有したのも夏だった。今となっては忘れてしまいたいくらいに恥ずかしい出来事だけれど、夏の暑さに頭がやられていたと言い聞かせることで誤魔化してしまえる。この話はいつかしよう。いやしないかもしれない。
気取って浴衣を着て友達と屋台を巡った日も、泳げないからとひたすら浮き輪にしがみついて水の中を浮遊した日も、積み上がった宿題に汗水とたまに涙を流した日も、全部不思議と記憶の根底に染みついている。
なぜだろう、夏の思い出、悔しいほどにキラキラしている。あんなに暑くてだるくてめんどくさいのに、青春だとか言いながらそれを夏に集中させてくるのなんて腹立たしくて仕方ないのに。
夏は嫌いだ。だけどわくわくする。どうしようもなく希望に満ち溢れてしまう。暑さに対する気だるさが消えることはないけれど、その先で出迎えてくれる数々の出来事を思うと、胸が高鳴る。
そんな夏を迎えるためにはまず期末レポート地獄を片さねばならないのだけれど、これはこれで夏休みの宿題を思い起こさせるから悪くない。いや良くもないけど。いやひたすらしんどいけど。
今年はまだ純粋に楽しめる夏にはならないかもしれない。またもや自粛の日々になりそうだし、みんなと集まってはしゃぐことも叶わないかもしれない。それでも、せめて今年も綺麗な夕焼けをこの目に焼きつけたいと思う。夏にしか見ることのできない景色、この夏は何が待っているんだろう。
これは今日の夕焼け。
ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。