科学は宗教なのか。
「うえちゃん」さんの投稿が面白かったのでそれについて、#note感想文として「科学と宗教」について書いてみようと思った。
こういう話がある。
最近は、とんでもない望遠鏡で宇宙の果ての星が見えたり、逆に電子顕微鏡で原子レベルのものが見えたりしている。
しかし、昔ながらのレンズだけの望遠鏡、顕微鏡ならともかくも、最近のものは現物とモニターに出てくる画の間にコンピューターがたくさん挟まっている。もしかしたら間は何も繋がっていなくて、CGが表示されているだけかもしれない。ちゃんと繋がっていたとしても、間のプログラムは一般人には到底理解できないから本当にそうなのかどうかは一般人には分かりようがない。
他のあらゆる分野のこともみんなそうなっている。
だから科学は、もはや信じるしかない、宗教なのだ、と。
似たような話を現在放送中の仮面ライダーゼロワンも扱っていた。
人工知能ロボットが賄賂の現場を目撃し、眼で録画をしてそれを告発した。
しかし、
「そんなの、ロボットなんだから合成かなにかで作れるでしょ」
とか言って否定されてしまった。
(特撮ヒーローなのに「合成でしょ」と言って否定するが笑えたがまあそれは)
(仮面ライダーゼロワン お仕事五番勝負 MCチェケラの回を参照)
さてそれでは、宗教と科学の違いは何なのだろうか。
それに関して、下のような解釈を聞いた。
宗教は信じることからスタートする。
科学は疑うことからスタートする。
だから宗教は主観的になって、科学は客観的になる。
それを知った上でどちらを信じるか決めればいい、と。
さてところで、人は人知を超えたものに触れると宗教っぽく解釈しがちである。
例えば雷。
昔の人は雷はとにかく怖いものだから、神様のお怒りと考えた。
だから「神鳴り」という名前を付けた。
しかし電気という概念が生まれてフランクリンが凧を飛ばしてみると、雷は「人知の範疇」に収まった。
最近で言うと原子力などもそうである。
福島の原発事故のあと、
「原子は人知の範囲を超えているものだから原発をやめろ」
という人がいた。
そういう人が持ち出す「人知」だとか「神様」とかは、要するに論理的な思考を放棄したやつの常套句である。
私は宗教を否定するつもりはないが、何かと宗教を持ち出して考えることを止める人が嫌いだ。
ところで一方、こういうことを書いていながら私は結構信心深くて、こういう文を書くと罰が当たるんじゃないかとビクビクしていたりする。
宗教と科学って、難しい。
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