渋谷ハロウィンのゴミは「ゴミがポイ捨てされる」問題ではなく「ゴミ箱がないからゴミで溢れる」当然の結果に過ぎない。よって責任を参加者に転化しゴミ掃除をボランティアに任せるパワープレイ人海戦術が美化される日本社会の労働生産性が低レベルなのは当たり前。
パリピとしては渋谷ハロウィンのような楽しいイベントがなくなって欲しくないから、真剣に問題提起しているのだけれども、どうにもYoutube上の再生回数が伸びないんだよね。ということで例のごとくNoteに長文を記載しようと思うんだ。大家好(こんにちわ)、MATVの馬です。さて、随分前の話だけれども、来年に向けて渋谷ハロウィンというか、東京のゴミ問題について問題提起します。いかにして参加者と地域にとって良いハロウィンを作り上げていくか?ということについては次のNoteにまとめたいと思います。今回はゴミ問題のみということで切り分けますね。
ゴミ箱がありません→ゴミ箱がないからゴミを捨てることができません→仕方ないからゴミの集まっているところに私のゴミも「置いておこう」と考えるのが渋谷ハロウィン参加者の思考回路であります。報道ではまるでゴミが至る所に散らばっているような印象を受けるかもしれませんが、それは誤りです。要所要所でゴミが積み上がっているだけの話で、実際は「ゴミが散乱してヤバイ!!」というレベルの汚さではありません。私の感覚では夏の海と同じレベルの汚さです。人が多ければゴミが出てくるということは仕方のないことです。善悪の話をしたいわけではなく、そういった傾向がある、ということを前提として共有させてください。
そしてですよ、渋谷ハロウィンは毎年盛り上がりを見せていますから、大混雑が起きることは事前に想像ができるわけです。人が来ればゴミは出るのは当然であって、ごくごく自然な成り行きです。つまり間接的にゴミがたくさん出るということは分かりきっていることなのですけれども、問題に対して有効な解決策を打てていないうえ、労働生産性の低さを世間に露呈させているのに改善が全く見られない。このままでは日本の未来は危ういぞ!危機感を覚えたので問題提起したい!!!というのが今回の目的です。
まずはゴミ問題の原因について述べます。コトは単純で、東京にゴミ箱が少なすぎる、ということが原因です。ゴミはゴミ箱へ、小学生の頃教わりましたよね。当然のマナーであるわけですが、いかんせん渋谷にはゴミ箱が無いんですよ。どこにあるかというとファミマなど一部コンビニのみです。しかしゴミ箱は封印されているのでゴミの入れようがありません。そういったわけで、ゴミはゴミのあるところに「置かれて」いくのです。プロセスとしては割れ窓理論と同じです。誰かがゴミを捨てる→真似して同じところに置く→結果としてゴミが積み重なる、というわけです。
間違った対策とは何を指すかお話しします。はっきり申し上げましょう、ボランティア任せの人海戦術でゴミ掃除をする、ということは誤りである、と。パワープレイゴリ押しで何とかなる時代はバブル崩壊と共に終わっています。モーレツ社員は死後です。現在の価値観では限られたリソースを用いてどのように利益を最大化するか、ということに重点が置かれています。一生懸命、精一杯、力の限りを尽くす、気合いだ、といった言葉は聞こえはいいですが、スマートなやり方ではありません。「根性で何とかしよう」論が日本社会の根底で共有されているからこそ改善は難しいわけですが、とりあえず言わせてください。日本は頭悪いな!!!ゴミ箱設置すれば無駄にボランティアがゴミ掃除しなくても済むじゃねーか!!!有効な対策とは「ゴミ箱の設置」一択です。他に方法はありません。ゴミを持ち帰らない参加者が悪いのでしょうか?私はそう思いません。ゴミ箱さえあれば本問題はほとんど解決すると考えていますから。
誤解させてしまうのは本意ではありません。少し解説します。日本は、というのは全ての日本人を指すわけではありません。しかしながら、私が嫌うステレオタイプ的な表現をしたことには理由があります。渋谷の交差点で人がわんさか集まるようになったのは2008ワールドカップ以降で、そこから毎年ハロウィンやイベントの度にゴミのニュースが出ていると聞いています。それっておかしくないですか?毎年ゴミヤバイゴミヤバイと嘆いているばかりで、誰もがゴミ箱の設置について検討していなかったと思うと日本はかなり幼稚な人間の集まりなんだな、、、と思うわけです。議論はしているはずだって?議論した上でゴミ箱を設置していなかったとしたら余計タチ悪いですよ、頭悪すぎるでしょ。
そもそも地域の美化は行政が取り組む課題です。中国とシンガポールの例を挙げましょう。ゴミ箱の設置は行政が対応します。税金で設置します。処理費用に関しても同様です。日本も同じです。しかしながら日本には全然ゴミ箱は設置されていません。なぜです?ポイ捨てが多くなれば結局自治体で対応しなければいけないから最初からゴミ箱設置した方が建設的じゃないですか?理由の一つはテロ対策と言われています。頭の悪さが本当に残念。ゴミ箱の有無はテロの発生と因果関係が薄いことは明白です。テロリストの立場になって考えてみましょう。爆発物を仕掛けるなら?ゴミ箱がなければドローン飛ばすなりラジコン使うなり自爆テロするなり、方法は無限です。そもそも日本では何度かテロが発生しています。秋葉原にトラックで突っ込んだり、新幹線内でガソリンを撒いて焼身自殺をしたり、相模原で連続殺人を行ったりと。背景に宗教的思想があるわけではありませんが、本質はテロと同じでしょう。防ぐことは大変困難です。テロとの戦いは難しいテーマなのでここまでにしましょう、しかしゴミ箱を設置しないことの口実としてテロとの戦いを持ち出すのはやめていただきたい、ということが私の主張であります。ゴミ箱が無ければ他の遮蔽物をテロリストは探しますよ。
続いてボランティアの件について。ボランティア活動を行う精神性は非常に立派です。尊敬します。私自身も殺処分予定となった犬猫の保護活動を行なっているボランティアを手伝っています。主力ではありませんけどね。ほとんどの団体は経済的にも人的リソース面においても困窮しています。つまりお金もなければ人手もなくて危機に陥っています。結果としてボランティア活動に追われて本業がうまくいかず、共倒れするケースもあります。痛ましいことですが、失踪者も出るくらいです。殺処分予定の犬猫を保護したものの、狭いケージの中に閉じ込められて掃除も行き届かず、本当にかわいそうな犬たちを見たことがあります。心痛を言葉で表現できません。保護活動する側にも保護が必要だった、、、という状況です。とにかく、保護活動を運営することは大変です、ということを前提としてお伝えしたかったのですが、だからこそ必要のないことにボランティアが駆り出されていることに腹が立って仕方ないのです。その労力こちらにくださいッッッ!!掃除するならウチの施設で犬猫のウンチオシッコ拭いたり散歩手伝ったりしてくださいッッッお願いしますッッッ!!!!!と願ってやまないのです。犬猫が嫌いなら他のボランティアはいかがです?例えば私は養護施設出身なのですけれども、髪切りに来てくれるとか、勉強の先生になってくれるだとか、検討していただけるとありがたいですが。あるいは砂漠化を食い止めるために植林するだとか、渋谷のゴミ拾いよりも有意義なボランティアはいくらでもあると思いますよ。渋谷のゴミ拾いが悪いわけではありません。重ねて申し上げますが、ボランティア行為は尊敬されるべきです。しかしながら、渋谷のゴミ問題はゴミ箱が設置されていないことに起因しているため、順序としてまずはゴミ箱設置しようね、というお話です。カバーできない部分をボランティアが拾っていくのであれば労力はずっと少なく済むことは間違いありません。
私が目指すのは持続可能な解決方法であって、かつ抜本的な解決方法です。病気で例えるならば治療や対症療法ではなく予防です。ゴミを減らすための取り組みとして3Rというものがありますが、Reduce(ゴミが出ることを減らす)Recycle、Reuse(再利用)、(再生利用)ですね。最も重視されていることはReduceです。つまりゴミが出なければゴミは減る、といった根本的な解決方法ですね。ゴミ出しの例に倣い、ゴミを減らすことがシンプルな解決方法ではありますが、しかしあれだけ人がたくさん居てゴミを出さないようにする、ということは非現実的な取り組みです。アルコールの販売を抑制するために渋谷周辺の店舗に販売禁止令を出したとしても騒ぎたいヤカラは瓶で酒を持ち込みます。ゴミが出るのが避けられないのであれば、ゴミが出ても正しい手順で廃棄されるように仕組みを変えていこう、ということを伝えたいわけです。
私の考え方の根底には性善説・性悪説の考え方があります。人の心は生まれながらにして善/悪という理論ですが、どちらも法治主義の説明をするための前フリに過ぎません。「だから、教育によって素養を高め、法律によって管理しよう」ということが結論です。中国の例を挙げましょう。赤信号の時に横断歩道を渡す人、横断歩道のないところを横断する人はかつてと比べるとめっぽう少なくなりました。カメラで国に撮影されているからです。違反者は罰金を支払う必要があります。シンガポールの例を挙げましょう。街並みはゴミがあまり落ちておらず、結構キレイです。ポイ捨て・唾を吐くことが禁止されていて、罰金がベラボーに高いからです。人の行動は法律である程度コントロールができます。モラルのない行動に対しては罰則が与えられるべきです。行き過ぎた監視社会の行く先は上位者に全てが管理された多様性のない退廃か?ということは懸念していますが、長くなるので別にしましょう。法で行動が変わる例を持ち出した意図は、場当たり的な対応を行うことを善とするのではなく、システムによって現場の人間が苦労することの無いように仕組みを作っていこう、ということです。
ボランティアを安易に美化する風潮が嫌いです。メディアが、個人がゴミ拾いをまるでヒーローのように扱うからこそ問題は存在し続けるのではないでしょうか。ゴミがこんなに放置されるのはゴミ箱が無いからじゃないの?参加者に責任を転嫁する姿勢は正しいことではありません。まぁ設置したとしてもゴミが出ることは避けようがありませんが、かなり減るのではないでしょうか。申し上げた通り、テロの発生とゴミ箱の設置は因果関係が薄いわけです。イベント毎にゴミが出ることをメディアが喧伝するのは頭の悪さを世界中に発信していることに他ならないと思っています。また、ワールドカップの客席に出たゴミを掃除して帰る素晴らしい日本サポーターの行動を帳消しにする恥さらしな害悪でしかないとも思ってもいます。しかし、パリピの代表として意見を表明させていただくと、渋谷ハロウィン参加者は頭おかしい奴ばかりだな、と思われることに大変憤慨しているわけです。ゴミ箱設置してくださいよ、話はそれからだ。労働生産性の低さを真に問題ととらえるのであればいい加減根性論から脱却していただきたいものです。
ということをまとめて渋谷区及びhttp://shibuya-gomizero.org 宛に送信する予定です。今回のNoteではゴミ問題についてフォーカスしたわけですが、次はいかに渋谷ハロウィンを良いものにしていくか、ということを記事にしますのでよろしくお願いします。応援していただける方は私のYoutubeチャンネルを登録よろしくお願いします。この記事に関連する動画はhttps://youtu.be/R__Gquqlz0I です。