『ブリジャートン家』②~「存在が意識を規定する」を逆手にとったダイバーシティのドラマ
わたしは、すっかりこのドラマにはまり、ついに原作本『ブリジャートン家1~恋のたくらみは公爵と』まで、アマゾンで取り寄せ、読んでしまった。そして、思った。ドラマを先に見ていて良かった。
あの原作から、こういうドラマが生まれるなんて、制作陣に脱帽だ。
それは、まるで、黒澤明が、芥川龍之介の短編小説を原作にして、あの名作映画「羅生門」を生み出したようであった。
原作を大胆にアレンジして、現代にふさわしいドラマにしてロマンス歴史ドラマにしてしまったションダ・ライムズはすごいプロデューサーだ。
その大胆なアレンジは一つだけではないのだが、今回は、イギリスの歴史ドラマにダイバーシティの発想を持ち込むことによって何が起きたのかを考えてみたい。
『ブリジャートン家』はメインキャラクターの一部を黒人やアジア人に配役することで、多様性に富んだドラマになっていると言われているが、では、ドラマに多様性を持たせることの意味とは、なんだろうか?
ドラマでは、主役と脇役がはっきりしていて、役者の格もそれで決まっている。バイプレイヤーの役者がいくら上手でも、主役にあがることはまずない。だから、黒人の俳優が、貴族や上流階級を描いたドラマに、主役で登場することはなかった。
特に恋愛ものの映画やドラマでは、黒人と白人がカップル演技をすること自体ももめずらしかった。
そんな映画やドラマを見続けていると、自然と白人中心の歴史観や美意識にドラマを作る方も見る方も、固定観念も規定されてしまうのだ。
しかし、このドラマでは、主役のヘイスティング公爵役に、レジ・ジーン・ペイジを起用することで、その常識を打ち破ろうとしたのではないか。
このドラマの公爵様は、原作よりも魅力的だ。知的で、大胆で、野性的で、オレ様で、ツンデレだけど、優しいという、ドラマのヒーローのかっこいい要素を全部備えているわけで、そんな男いないよと言いたくなるくらいだ。
そこをレジは、本当にカッコよく、セクシーに演じていて、世界中の女性を魅了したと言われるのも伊達じゃない。
公爵と言えば、貴族の中で、最高の爵位である。だから、レジが公爵を演じると聞いて、面白いわけない、失敗作になるだろうという向きも多かったという。しかし、このドラマは、そんな予想をはっきりと裏切ってみせた。
「主役は暖簾を割って入る」とは、主役は登場のしかたから、他とは違うのだと見ている人にわからせる演出方法だという。
まさに、公爵として、颯爽と登場したレジ・ジーン・ペイジがそれであった。もちろん、もともと美しいレジであるが、公爵を演じることで、美しい衣装や豪華なセットでさらに彼の魅力が引き立てられた結果、「女性から見た憧れの王子様」となったのだ。
「存在が意識を規定する」というが、ヒエラルキーの最高峰に、主役としてレジ・ジーン・ペイジを存在させたことにより、「ブラック イズ ビューティフル」は、スローガンではなく事実となったのだ。
公爵という鮮烈な印象を残したレジ・ジーン・ペイジであるが、もう誰も、彼を白人の脇役に登場させようとは思わないだろう。
こうして、ドラマの歴史も変わっていくのかもしれない。
つづく
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