「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」にみる自己決定権の描かれ方
誰にでも意思がある。誰もが、その意思を尊重されなくてはならない。
しかし、今の世の中、誰もが、いつでも、そんなふうに自己決定権を尊重されるわけではない。
このドラマの主役であるウ・ヨンウは、自閉スペクトラム症がありながら、かつ、ソウル大学法学部もロースクールもトップで卒業するという二面性を兼ね備えている。法の解釈や分析はそれこそ「天才」の弁護士であるが、対人関係をうまくつくることができない。
このあたりの設定は、同じく自閉症の天才外科医を主人公としたドラマ「グット・ドクター」とかなりかぶっている。
自閉スペクトラム症の人とは違うというところを「天才肌」という言葉で説明し、周囲が合理的な配慮を持ち、その才能を潰すことなく、いかしていく過程がドラマのキモになっている。その過程で、主人公も、周囲の弁護士たちも、人としても、弁護士としても成長していくヒューマンドラマとなっている。
しかし、主人公を医者ではなく、弁護士としたところで、このドラマは、また、新しいテーマをわたしたちに投げかけている。
それは、「自己決定権」という概念だ。
ウ・ヨンウは、弁護士として、いわゆる社会的弱者といわれる人たち、高齢者や障碍者、子どもたちや、社会の「負け組」と言われる人たちの側に立つことになる。そこで、彼らの「自己決定権」というものが、世間ではどのように、無視され虐げられているのかを、丁寧に描きながら、法廷ドラマとしている点が、このドラマの核ではないだろうか。
ウ・ヨンウは、思想的に人権派というわけではないが、彼女自身が自閉症であるという社会的立ち位置が、そういう問題を引き寄せるように描かれているし、また彼らと交流することで、自分の意思をはっきりと告げられるようになっていく成長ぶりも描かれている。
社会的に弱い立場の人たちは、自己決定を促されることもない。まわりの「あなたのため」という呪縛から、自らの意思を表明することもできない。
親から言われて塾通いに明け暮れる子どもたち。
健常者と対等な恋愛関係ではないと否定される障害を持つ女性。
会社という組織に正義を訴えても、敗訴となってしまう女性労働者。
ウ・ヨンウ自身も、弁護士としては天才的な弁明をしながらも、恋に悩む女性としては、自分の意思をなかなか表現できない。
そんな厳しい現代社会を、大都会の空を、ゆうゆうと泳いでいくクジラを通して、心の解放を描いていく演出方法は、ほのぼのとしながらも力強い。
このクジラが表しているのは、心の解放は、個々の自己決定権を大切にし、解き放つところからはじまるのだという新しい概念ではないだろうか。
※イルカを水族館から解放しようとひとりでかわいいデモをするウ・ヨンウ。人間も解放されなくちゃね。
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