なぜこんなに泣けるのか。究極のヒーリング海外ドラマ「アンという名の少女」
「愛の不時着」で思いっきり泣いてハマって、友達に布教活動までしていた私だが、Netflixで、「愛の不時着」の次に見るべきは、これ、カナダCBC制作ドラマ「アンという名の少女」だと叫びたい。
世界は広いんだし、せっかくNetflixというプラットホームがあるんだから、他の国のドラマも観てみようと軽い気持ちで見始めたのが、「アンという名の少女」で、これが大当たり・・・いや大傑作だった。
そしたら、NHKの地上波でも放送開始だと知った。流石、NHK。
なにせ、このドラマ冒頭から、韓流ドラマ以上に泣かされるのだ。(もちろん感動の涙、悲しみの涙だけじゃない)。そこから、一気にハマるわけだが、この涙が、まさにヒーリングなのである。
不朽の名作「赤毛のアン」は知り尽くしていると侮るなかれ、わかっていても思いっきり泣けるのだ。
そして、泣きながら、あれ、「赤毛のアン」を読んだとき、わたし、こんなに泣いたっけ、どうしたんだろう、って、自分史を振り返るようになり、そのことで「内観」まで促されるのでである。
ドラマで癒されたいと思っている人にぴったり、きっと「愛の不時着」の次の一大ブームがくると思う。(いや、もう大ヒットドラマだから、NHKでやるんでしょ。知らないのは、あなただけという私の心の中の声。)
1.原作から抜け出たようなメインキャストのビジュアル
もう、これは、実写版の決定版というくらいのキャスチングなのだ。
主人公のアンを演じるのは、エイミーベス・マクナルティ。もし、私がドラマの監督だったら、オーデションで彼女を見た瞬間(当時14歳)に、「アンがそこにいる」と叫んでいたに違いない。そして、この子、演技も上手い。子役出身でキャリアは長くコゼット役もやったことがあるらしい。非凡で聡明で大胆だけど、繊細で傷つきやすい少女アンを見事に演じ、観る人をストーリーにグイグイと引き込んでいく。そのヒロインとしての魅力が半端ない。
ほかの主要キャラクターも原作のイメージを崩さない。
頑固で几帳面でしっかり者のマリラを演じるのは、ジェラルデン・ジェームス。ベネチア国際映画祭女優賞受賞という華々しい経歴だが、農村のおばさんを実に見事に表現している。私もそうだったが、田舎のおばさんにそっくりと思う人続出だろう。たぶん?
女子の憧れ、理想の彼氏ギルバートを演じるのは、カン・ドンウオン似のルーカス・ジェイド・ズマン。こちらも子役時代にオリバー役もやってて、いかにも演劇は基礎からちゃんと習ってますという感じ。ちなみにカン・ドンウオン似は私見ですが、ギルはハンサムじゃないとね。それも、ただのイケメンじゃないハンサム。
今までと違う新しい解釈のマシュウを演じるのは、R・H・トムソン。このマシュウのキャラには、本当にびっくり。でもこれがカッコイイ。ネタバレになるといけないのであまり言えないけど。
そして、このメインのキャスティングの素晴しさもさることながら、脇役含めて出演者すべての安定した演技力に支えられてる。これぞ王道のドラマなのだ。
2.憧れのプリンスエドワード島の自然美を堪能。
私が、初めて「赤毛のアン(児童版)」を読んだのは、小学校1年生の時、中学生の時に、文庫本で全11巻はすべて読破したが、高校(東北地方の某県、その当時は男女別学)に入学した時、最初の生徒総会で、そんなの読んでて当たり前よという女子たちが、自己紹介がわりに、議題なんかそっちのけで、「赤毛のアン」のオタ話で盛り上がっていたのを思い出した。
当時は、「赤毛のアン」について語るのが、意識高い系の女子の仲間入り一種の通過儀礼だった。そして、その女子たちはみんな、いつか必ずプリンスエドワード島に行ってみせるわと信じて疑わなかったのだが・・・しかし、意外と誰も行けていないのを、後に同窓会で知ることになる。
ああ、プリンスエドワード島は遠いのだ。観光地でもないし、ツアーもないし、あっても高いし。かくして、この海外旅行好きの私でさえ、まだ行けていない…憧れの海外ロケ地なのだ。
そして、このコロナ禍、ますますプリンスエドワード島は遠くなったが、カナダのテレビ局制作のドラマだけあって、その憧れのプリンスエドワード島の自然の美しい映像が思う存分堪能できるのである。
3.古き良き時代の生活様式をこれでもかと再現
「赤毛のアン」は、百年以上前のカナダの農村が舞台だ。勤勉なプロテスタントの農村コミュティの生活を丁寧に描いている。
このドラマでは、原作の持つ農村生活の魅力を完璧に再現している。
これが、あのグリーンゲイブルス、清潔で快適なカントリーハウスや、ちょっとリッチな富裕層のお屋敷まで細部にまでこだわったインテリアの数々。干し草をベットに寝ころべる大きな納屋もいいね。
優雅なクラッシックドレスや、オーガニックで美味しそうなスコーンやケーキやパンなどが並ぶのも、見ているだけで、ファンなら垂涎ものである。
しかも、このドラマでは、アヴォンリーの農村風景と、ちょっと都会のシャーロットタウンの街並み、馬車や汽車だけでなく、新しいストーリーに合わせて蒸気船に喧噪の港町まででてくるのもうれしい。
4.今を生きる女性たちのためのドラマならではのオリジナルストーリー。
このドラマは、原作の「赤毛のアン」の世界観はそのままだが、現代的なテーマを盛り込んで新しくオリジナルスートリーが加わり、かなり大胆にアレンジされている。
主人公のアンだけでなく、ほかの登場人物もかなりアクティブになっていて、そのうえ、人種差別、先住民問題、LGBT、フェミニズムなどの現代に通じるテーマを扱っているため、物語のエピソードも盛りだくさんだ。そこ、そうきますかというくらい原作とは違っているけど、でも、やっぱり「赤毛のアン」、これぞ「赤毛のアン」の物語なのだ。このような現代のテーマを飲み込んでしまえる主人公のキャラクターが百年以上前に書かれていたこと、その奇跡こそがこの小説の醍醐味だと改めて思う。それこそ、アンなら、こんなことがあったら、こうするだろうという想像の翼を使えば、どんなに面白いストーリーだって創造できちゃうわけである。
「本当の幸福を感じるのは、深い悲しみを知っている人生だからこそ」というようなセリフがあったが、まさに、はじめて「赤毛のアン」を読んでから、数十年、酸いも甘いも嚙み分けるようになってこそ、つくづく泣ける小説だったんだなあと感じさせられた。
そして、あれから何十年もたっているのに、こうしてアンはまた、わたしに勇気をくれるのだと思うと、さらにまた、泣けるのであった。