『ハーモニー』における「語り」の重奏構造/伊藤計劃研究
要旨:『ハーモニー』本編は複雑に時間軸が絡み合っている。本稿では、記述の時間軸について簡易的に扱う。
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『ハーモニー』本編の構造は、整理すれば以下となる。
明示的な過去描写――たとえば〈recollection〉タグ内の記述――もあるが、それだけではない。
本編の記述は必ずしもリアルタイムではないため、各々の描写には微妙な齟齬が存在している。
分類のヒントは作中にある。それも、かなり堂々と。序盤、全世界同時自殺事件が起きた後の、霧慧トアンの捜査シーンがそうだ。あの捜査シーンはWatchMeの監視内容を説明してもいるのである。
一人称の視覚映像、音声、健康情報。
これがWatchMeに記録できることだ。
WatchMeは本来、個人の内心を記録できない。ゆえに本編の内心描写は、本編を終えた後の霧慧トアンが記したものでしかあり得ない。
では、本当にWatchMeは内心を記録できないのか? 実はこの疑問が、他ならぬチェチェン篇での幕切れにつながっている。以下、問題のシーンに触れてみよう。
前提として、御冷ミァハはWatchMeをハッキングし、霧慧トアンらを監視していた。仮に監視が内心にまで及んでいたらどうか。
御冷ミァハの目的は革命と、革命家として名を打ち立てること。そしてその記録者こそが、カリスマに心酔していた霧慧トアンである。少なくとも、御冷ミァハ自身はそう考えていた。
一方で、霧慧トアンはどうか。
再会に至り、もはや殺意を隠す気はない。
御冷ミァハの身の危険は明らかだ。
では、その殺意はいつの頃からか。
もう一度、記述に触れてみよう。
幾度となく殺意を抱いた時点で、霧慧トアンはまだWatchMeの記録下にあった。WatchMeが内心を計測できたなら、御冷ミァハは危険を察せたはずである。
実際は、WatchMeの監視にも限界があった。そしてその限界が、御冷ミァハを見誤らせたのだ。
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『ハーモニー』がどんな構造をしているか。一言では難しいが、オーディオコメンタリーつき上映のようなものと考えると良いかも知れない。
本編、オーディオコメンタリー、視聴後にあらためて残したメモ。そう擬似的に考えることもできるだろう。映画愛好家ならではの形式、とまで言うと感傷的に過ぎるだろうか。(了)
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