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『ハーモニー』における「語り」の重奏構造/伊藤計劃研究
要旨:『ハーモニー』本編は複雑に時間軸が絡み合っている。本稿では、記述の時間軸について簡易的に扱う。
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『ハーモニー』本編の構造は、整理すれば以下となる。
1・WatchMeによる記録(リアルタイム)
2・感情ある霧慧トアンの語り(本編後)
3・感情ある霧慧トアンの追記(本編後)
明示的な過去描写――たとえば〈recollection〉タグ内の記述――もあるが、それだけではない。
本編の記述は必ずしもリアルタイムではないため、各々の描写には微妙な齟齬が存在している。
分類のヒントは作中にある。それも、かなり堂々と。序盤、全世界同時自殺事件が起きた後の、霧慧トアンの捜査シーンがそうだ。あの捜査シーンはWatchMeの監視内容を説明してもいるのである。
一人称の視覚映像、音声、健康情報。
これがWatchMeに記録できることだ。
WatchMeは本来、個人の内心を記録できない。ゆえに本編の内心描写は、本編を終えた後の霧慧トアンが記したものでしかあり得ない。
では、本当にWatchMeは内心を記録できないのか? 実はこの疑問が、他ならぬチェチェン篇での幕切れにつながっている。以下、問題のシーンに触れてみよう。
前提として、御冷ミァハはWatchMeをハッキングし、霧慧トアンらを監視していた。仮に監視が内心にまで及んでいたらどうか。
ねえ、御冷ミァハさん、あのお昼、零下堂キアンがカプレーゼに頭を突っこんでから、このチェチェンのバンカーに苦労してやってくるまで、何度わたしがあなたのことを殺そうと思ったか考えたことはなかったの。
御冷ミァハの目的は革命と、革命家として名を打ち立てること。そしてその記録者こそが、カリスマに心酔していた霧慧トアンである。少なくとも、御冷ミァハ自身はそう考えていた。
一方で、霧慧トアンはどうか。
再会に至り、もはや殺意を隠す気はない。
御冷ミァハの身の危険は明らかだ。
では、その殺意はいつの頃からか。
もう一度、記述に触れてみよう。
零下堂キアンがカプレーゼに頭を突っこんでから、このチェチェンのバンカーに苦労してやってくるまで、何度わたしがあなたのことを殺そうと思ったか
幾度となく殺意を抱いた時点で、霧慧トアンはまだWatchMeの記録下にあった。WatchMeが内心を計測できたなら、御冷ミァハは危険を察せたはずである。
実際は、WatchMeの監視にも限界があった。そしてその限界が、御冷ミァハを見誤らせたのだ。
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『ハーモニー』がどんな構造をしているか。一言では難しいが、オーディオコメンタリーつき上映のようなものと考えると良いかも知れない。
本編、オーディオコメンタリー、視聴後にあらためて残したメモ。そう擬似的に考えることもできるだろう。映画愛好家ならではの形式、とまで言うと感傷的に過ぎるだろうか。(了)
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