ETMLが持つ「真の意味」とは何か。 『ハーモニー』読解/伊藤計劃研究
基本に立ち返った話をしよう。すなわち、
「なぜ『ハーモニー』でETMLは表示されているのか?」
刊行から今年で15年。あまりに当たり前過ぎて、これまで見過ごされて来た観点だ。
・
ETMLは現実のHTMLに想を得ている。
ある意味、当たり前の話ではある。本文冒頭のETMLからして、HTMLに加筆される形で表現されているのだから。
〈!DOCTYPE 「〜」〉は〈「〜」形式で書くとの宣言〉であり、これは現実のHTMLでも使われている形式だ。
ETMLはHTMLを踏まえたものであり、『ハーモニー』本文はETMLで書かれている。ここまでで、特に不思議はない。
しかしながら、以下のように考えるとどうか。
・私たちは普段HTMLを見ることがない。
これはブラウザでの見え方を考えると分かり易い。技術としては当然HTMLが使われている。しかしそのHTMLを、ブラウザを介して見たらどうか。
ブラウザを通じ、HTMLコードは視聴覚情報に変換され……直接見えることはない。これまた、当たり前の話だ。
ETMLにしても、直接見えないのは同じはずである。なぜなら、ETMLの想定読者は、感情が直接理解できないものだからだ。
読者が理解不能であるがゆえに感情タグを使い、ブラウザを用いて再現する。その扱いは、HTMLでの視聴覚表現と変わらないはずだ。
では何故、『ハーモニー』ではETMLが直接「見えて」いるのか?
HTMLとの相似で考えると、この実態は見えてくる。
無論、ブラウザ機能を介し普通に閲覧している状態はあり得ない。その場合、ETMLは不可視となるだろう――私たちが普段、インターネットでHTMLの存在を意識しないように。
つまり、
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