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クラヴィスと死者の国/『虐殺器官』読解

 前回の原稿では『虐殺器官』の主役・クラヴィスの記述を追い、その大嘘を立証した。今回は『虐殺器官』読解の歴史に触れつつ、かつて流布した説について検討していく。

 まずは刊行当時、読者と作者のやり取り要約からだ。

読者「クラヴィスは虐殺の文法について勘違いしているのでは?」(※1、末尾記載)

作者「その自己欺瞞については作中に書いてあります」(※2)

 この「勘違い」、あるいは「自己欺瞞」については 前回扱った 通りだ。
 無論、当時ここまで明確に解明された訳ではない。しかしともあれ、経緯を知る者には「クラヴィスは嘘をついている」との印象は残った。

 やり取りから2年後。没後半年が経った2009年9月、「伊藤計劃『虐殺器官』の“大嘘”について」と題された文章が匿名投稿される。現在では投稿元から消えているものの、アーカイブからの閲覧自体は可能である。(※3)

 この文章で唱えられ、当時有名になった主張。その真偽が、今回扱うものだ。文章に大量の引用こそあれど、要約すればシンプルである。

  ・クラヴィスは「死者の国」に惹かれていた。
  ・エピローグの選択は地上に「死者の国」を出現させるため。

 この誤解の流布までが、およその前史と言えるだろう。
 誤解と書いたのは他でもない。今回読み返したところ、かなりの難点が判明したからだ。読み込みは不足しており、説得力の大半は引用元、すなわち伊藤計劃の文章由来だった。
 相当の粗はあった。同時に、一石を投じたのも確かだ。誰もが白紙を提出する中、ともあれ書き上げた。先陣を切った果敢は、特筆されて然るべきだろう。

 前置きが長くなったが、本題、難点の指摘に入ろう。
 主張がシンプルなら、指摘すべき点もまたシンプルである。

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