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あの叙述トリックは失敗だったのか?(1)小松左京賞落選からデビューまで/『虐殺器官』読解
「『虐殺器官』エピローグの「大嘘」とは何か?」 では作中の描写を照らし合わせ、「大嘘」の存在を立証した。お読みの方々にはおおむね納得頂けたようで何よりだ。
該当箇所を引用し、照合し適宜解釈する。結果として、誰もが気づく難易度となった。
ただしそれは、地道な作業を経ての話だ。決して普通の読み方ではない。
有り体に言えば、あの叙述トリックはかなり分かりにくい。気づかせるための技術が足りていない――そう思われても仕方がないバランスだ。
成功を「大勢の読者に気づかせる」とするなら、あの叙述トリックは失敗である。なにしろデビュー長編なのだ。いくら才人でも、そうした失敗があり得るようにも思える。
だが、作者の意図という点ではどうだろう? 読者に気づかせるのが二の次だったとしたら?
考え過ぎとも思えるこの説は、ゆえなき事ではない。真偽を確かめるため、まずは作家のデビュー前後から追うとしよう。
『虐殺器官』の仕掛けについては、最初期から議論があった。応募先だった小松左京賞での経緯について、いくつか記録が残されている。
塩澤快浩 伊藤さんとの対面はかなり後になるんですよね?
大森望 ええ、『虐殺器官』の原稿を読んだのが最初です。2006年の7月くらい。小松左京賞の一次選考通過作のなかに、『Self-Refeerence ENGINE』と『虐殺器官』が入っていた。それを読んで「今年の受賞作は決まった! どっちかだ!」と思っていたら、「受賞作なし」というたいへん意外な結果に終わってしまった。
第7回・小松左京賞の応募総数は129作、二次選考では13作にまで絞られていた。そして『セルフリファレンス・エンジン』(※応募時タイトル)も『虐殺器官』も、最終選考へ進出している。
既に触れた通り、結果は「受賞作なし」だった。
『虐殺器官』はなぜ受賞しなかったのか。いくつか理由が挙げられており、なかでも動機の分かりにくさは、この時点で既に指摘されていたのだ。
最終候補作品は三作品だった。
伊藤計劃氏の「虐殺器官」は文章力や「虐殺の言語」のアイデアは良かった。ただ肝心の「虐殺の言語」とは何なのかについてもっと触れて欲しかったし、虐殺行為を引き起こしている男の動機や主人公のラストの行動などにおいて説得力、テーマ性に欠けていた。
「虐殺の言語」を仔細に書くかは作風の問題でしかないが、それはひとまずおこう。
この時点での『虐殺器官』は新人の、いや、デビュー前の作家の作品である。違和感を作者側のミスと錯覚し、仕掛けを読み落としても不思議はない。
加えて留意すべきは、初稿と単行本とで異同が存在することだ。
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