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「御冷ミァハの子供姿」の真相究明 『ハーモニー』読解/伊藤計劃研究
『ハーモニー』には複数のプロットが並走しており、その内ひとつが「霧慧トァンが事件を振り返るうち真相に気づき、カリスマと思っていた御冷ミァハの実態に直面する」である。本稿は「ミステリアスと思えた描写が実は違う意味を持つ」事例を扱い、『ハーモニー』を捉え直す一助とする。
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そして、不意に、全く唐突に、銃口の先に御冷ミァハの姿がある。
あのときのまま、少女だったときのままの佇まいで。
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ごく素直に読んだ場合、御冷ミァハはどんなキャラクターか。気まぐれでミステリアスな、カリスマあるイデオローグ、そんな具合だろう。
これは当初の霧慧トァンが抱いていた印象でもある。『ハーモニー』の語り手は霧慧トァンであり、読者の印象と一致している。
問題は、霧慧トァンが徐々にカリスマから離れていったことだ。
心酔から冷め、カリスマの実態に気づいていく。この主軸の存在により、霧慧トァンの語りは徐々に、読者の印象と一致しなくなるのである。
事件を振り返る霧慧トァン本人は、当初「あの選択が自由意志だったなんて、さすがに今は思っていない」(p47)と述べつつ、御冷ミァハへの心酔は冷めていない。御冷ミァハとの距離の点では、零下堂キアンのほうがずっと「大人」で自立していた。
「不在のミァハにお伺いを立てたいという、自分でもよく分からない衝動にかられ戸惑った」(p92)「ある意味で、わたしはまさにミァハのドッペルゲンガーだった」(p95)との状態に始まり、零下堂キアンと父・霧慧ヌァザ両名の悲劇を経て、明白に殺意を覚えるに至る。
明らかに、霧慧トァンの心はカリスマから離れていった。描写の変遷で、その幻滅を察することは出来る。
一方で、幻滅が表向き表明されることはない。
様々な点で、霧慧トァンは信頼できない語り手なのである。
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さて、ミステリアスな表現と見えたものが別の意味を持つことがある、と冒頭で述べた。ここではひとつ、作中事実を挙げてみよう。
・御冷ミァハは「少女だったときのままの姿」で現れた。
これは一見、神秘的な表現とも思える。しかし丁寧に描写を押さえたなら、裏の意味が判明するのだ。
鍵となるのはハーモニー・プログラムの実験である。人類から感情を奪うプログラムは、WatchMeを介して数多の者へインストールされることになる。
作中ではWatchMeインストールの例外として、子供について記されている。
・子供にWatchMeはインストールできない。
・WatchMeは恒常性を見張るシステムであり、急激な変化とは相性が悪い。
ここまでは周知の通り。
しかしながら、裏を返したなら、
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