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『虐殺器官』と『ハーモニー』は出版当時の選評でどんな評価を受けていたのか?(後編)
後編は『ハーモニー』の選評を読んでいきます。当たり前ですが、審査員の評価を得てないと受賞してませんので、そこは念頭に。
第30回 日本SF大賞(『ハーモニー』受賞)
受賞 伊藤計劃『ハーモニー』
候補 上田早夕里『魚舟・獣舟』
神林長平『アンブロークン アロー』
佐藤哲也『下りの船』
長谷敏司『あなたのための物語』
審査員 東浩紀 太田忠司 飛浩隆 豊田有恒 萩尾望都 (五十音順)
『ハーモニー』の選評をどう読むべきなのか。
2週間ほど悩んでいたのが正直なところだ。
刊行から16年を経た今では、作品がほぼ解明されている。
霧慧トァンの嘘、御冷ミァハの真の動機、設定面での成立過程etc。
しかしその解明は無論、16年前に成されてはいない。相当読める人でも、「『ハーモニー』にも何かあるのでは?」止まりだった。
そんな状況の選評を読み返し、果たして妥当に読めるのかどうか?
ともあれ今回は、一人ずつ読んでいくことにしよう。
以下、50音順に触れていく。
東浩紀の選評
最終的に、ぼくは本作を推すと決めた。
その理由は、誤解を怖れずに言おう、やはり結局のところは「伊藤氏が故人だから」である。しかしそれは、故人の作品だから評価を甘くしたという意味ではない。
最長にして問題の文。雑誌で1p半の内1pが、推薦への煩悶、作者と作品の関連付けに充てられている。
作者の死によりもはや素直に読めない、「記念碑」として『ハーモニー』を推薦したとも綴っており、ある意味正直ではある。
太田忠司の選評
特に感心したのは冒頭から登場するタグで、最初はただの装飾(というか作者の格好つけ)だと思っていたのだが、物語の終わりにその意味が明かされたとき、思わず膝を叩いた。ミステリ的な仕掛けも申し分ない。
(中略)強いて不満を述べるなら、物語の要である御冷ミァハの退場の仕方があまりにも呆気なく感じられたところだろうか。
作品の概略に始まり、『虐殺器官』からの進歩点までを挙げている。ベーシックに、作品そのものに向き合っている選評。
選評の中でいちばん一般的な読み方とも言える。
飛浩隆の選評
08年の暮れに『ハーモニー』を読み終えたとき、首を傾げた。etmlの種明かしが腑に落ちなかったのだ。これは本当に、結末で明かされた通りの記号なのだろうか。
「豊穣の年だった」と文章は始められている。「最後まで順位を決められぬまま、選考会に臨むこととなった」と。
この「腑に落ちなかった」との直観は大変正確で、また生前の作家への確認が、後に重要な手がかりとなる。『ハーモニー』の推薦者である以上に、読解の功労者でもある点は述べておきたい。
豊田有恒の選評
受賞作であり、必ずしも反対はしなかったが、筆者と萩尾氏は、特に推さなかった。
作品を醒めた目でしか見ることができず、乗れなかった旨のコメント。
補足になるが、この時点で 売り方に苦言を呈していた のは氏だけだ。また、年長者として賞の販促的側面にも触れており、故人が受賞対象で構わないかとの確認を徳間書店の担当にとってもいる。
萩尾望都の選評
『ハーモニー』ですが、「感情の無い村」という「幸福な村」が、重要な設定として登場します。これが、何度も説明されでてくるのですが解らないのです。(中略)泣きも笑いもあるのなら、感情があるのでは? 意識もあるのでは? 争いも、少しはあるのでは? と言う、設定への疑問が抜け切れないままでした。
前回の『虐殺器官』候補時同様、説明が気になったしまったとのコメント。年齢層によって、好みが分かれる作風ではあるのかも知れない。
ただし、「実力のある方ですから、いつ受賞されてもおかしくなかった」との補足も含まれている。
・
言えることはいくつかある。
・選考は決して一枚岩ではなかった。
・作品についてはあまり理解されていなかった。
・当時既に、出版社の売り方に苦言を呈されてもいた。
ともあれ『虐殺器官』の選評と比べると、疑問となった点は少ないように思われる。気になった方はぜひ、実際に選評を読んでみてほしい。
当該文章は『SF Japan 2010 spring』、p4~11に収録されている。
読むだけなら、そう時間はかからないはずだ。
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読み返してみて、果たしてどうだったか。
私としては、賞という代物の難しさを再確認した気でいる。決して評価が固まっていない中での評価は、己の見識を問われるからだ。
『ハーモニー』を短時間で読み解くのは無理だ、とは既に述べた。
その上で言うならば……受賞したと言っても、作品がそこまで理解された為ではなかったとは分かる。分かる、のだが。
率直な話をするなら、「理解してから選考しろ」などとはとても言えない。『ハーモニー』の読解は(全て読み解こうとするなら)高すぎる難易度であり、数回読む程度ではほとんど不可能だからだ。その理解を、限られた時間内に要求するのは難しい。
では、「理解できないなら評価すべきでないのでは?」となると……難しい。理想としては、そうあるべきだと思いつつも。
難しさの一端は、結局は「『ハーモニー』は日本SF大賞の獲得で売れ始めた」側面があるからだ。同時期には『虐殺器官』の初文庫化(2010年2月)があり、この頃やっと、一般読者まで手に取る機会が増えたのだ。
手元にある単行本版『ハーモニー』から、重版状況および推測を記述してみよう。
単行本版『ハーモニー』不完全刊行リスト
初版:2008年12月 初版帯、星雲賞帯混在。
再版:2009年 2月 初版と同じ帯のみ? 恐らくごく少数。
(2009年 7月、星雲賞受賞による帯変更)
3版:2009年12月 日本SF大賞受賞帯
4版:2010年 2月 「ベストSF2009国内編」第1位帯
5版:2010年 3月? (調査中)
6版:2010年 4月 「ベストSF2009国内編」第1位帯
7版:2010年 5月? (調査中)
8版:2010年 6月 (帯調査中)
(9版以降は調査中)
補足:2010年12月 『ハーモニー』文庫化
個人的な体験として、2009年7月10日に『ハーモニー』を注文したとき、いまだに初版で驚いたことがある。さすがに当月発表の星雲賞帯に変わってはいたが、ともあれ「2009年7月の時点では、新品の初版在庫が残っている位の売れ行きだった」とは言えるだろう。
一方で、2010年2月からは毎月のように重版がかかっていた。わずか半年で、劇的に状況が変わったのである。
知名度ある賞の獲得に、『虐殺器官』の初文庫化。どちらかが欠けていたなら、今のように広範な読者はつかなかったかも知れない。
大規模な文学賞は販促の機会でもあり、『ハーモニー』の場合はそのタイミングが絶好だった、とは言えそうだ。そのタイミングが、作家の没後だったとの心残りはありつつも。
・
結局のところ、個人個人には限度があるのだろう。
競合となる候補作など、コントロール不可能なことも多い。
そう知りつつも、目の前の本を読むとしよう。
できる範囲で、丁寧に。(了)
付記:本編は全文無料公開です。「手間かかってるな」とか「読んで良かった」と思った方は購入して頂けるとありがたいです。今後の資料代に充当します。てか単行本版『ハーモニー』だけで何冊あるんやって話ですね。
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