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「できる日本語」の「チャレンジ」で学習者が話してくれない問題・・・を考える
こんにちは!日本語教師のはやしえみです。
先日、私のnoteを読んでくれた方から「できる日本語」について話したいとお声がけいただき、Zoomでおしゃべり会をしました。
私が自分の職場で「教科書を変えたい」と言い始めたときは周りに賛同者は誰もおらず教科書問題に1人で向き合ってきたわけですが、Twitterで発信するといろいろな方のお話が伺えて嬉しい限りです。ありがとうございます。
今日はそのおしゃべり会で質問をいただき、その時は具体的に言語化できなくて自分の中でモヤモヤしてしまったことを記録しておこうと思います。
「できる日本語」で教えている先生方、「チャレンジ」での導入がうまくいかなくて悩んだことはありますか?
できる日本語は「チャレンジ」で絵を見ながら、今ある日本語の知識を駆使して、学習者に会話を考えてもらいます。
そして、学習者自身の発話から、学習項目に注目させて導入します。
「こういうとき何と言えばいいんだろう?」と考えることが動機づけになりますし、自分なりに考えた文を「それもいいけど、もっといい言い方がある」と聞くことで「ああ、そう言えばよかったのか!」という気づきになります。
外国語を勉強したことがある方なら、この「そう言えばいいんだ!!」という気づきの大切さは体感しているのではないかと思います。
だからこそ、はじめの「チャレンジ」で学習者が自分なりの発話をしてくれないと、先に進むのが難しくなります。
先日のおしゃべり会で出た悩みの1つがこれでした。
「絵を見て話してみよう」と言っても、学習者が発話してくれない。」
「生活経験が少なすぎて、絵がどういう場面なのかわからないらしい。」
これが「みんなの日本語」であれば、出てこない場合は教師が「小芝居」をして、例文を提示することも可能です。(もちろんやり取りの中で、引き出すのが理想ですけどね・・・。)
でも、「できる日本語」はそういう本ではない・・・無理やり例文を提示してしまってはこの本の良さが活かせなくなってしまいます。
今日はそんなときどうすればいいか、私なりの考えを書いてみます。
みなさんのやり方も教えていただければと思います。
発話しない・できない理由は?
「チャレンジ」で発話がない時、どうすればいいかと考えるにはまずなぜ言葉が出ないのかを考えたほうがいいと思います。
「話せない」のと「話さない」のと「話したくない」のは全然違うからです。
私は言葉が出てこない理由は以下の3つだと思います。
1、間違えるのが恥ずかしい・怖い
2、何を話せばいいのかわからない
3、話す気がない
今日はそのうち上の1と2について考えてみます。
(話す気がないのはまた別の問題なので・・・)
心理的安全性の確保
絵を見て発話が出てこないのは「何を言ったらいいのかわからない」可能性もありますが、「話すのが恥ずかしい・怖い」、あるいは「話しにくい」という可能性もあります。
「話せない」のではなくて、「話さない」・「話したくない」のです。
これって、私たち自身が学習者になっても感じることがある感覚じゃないでしょうか。
私は授業で最も大切なのは「いくら間違ってもかまわない」という心理的安全性の確保だと思っています。
教師と学習者間のラポール形成はもちろんのこと、学習者間にも「なんでも話せる」雰囲気を作っておくこと。
そのために普段からできるだけ、クラスのメンバー同士が打ち解けられるような教室活動をしておく必要があります。
クラス開始時から
「間違ってもかまわない」
「間違えない人はこの教室に来る必要がない。できるようになるために勉強している。」
と伝え続け、言葉だけでなく、態度や表情でも「ウェルカム!何でも来い!」を表現する。
また、学習者の発話を訂正するときはクラスにもよりますが、
「それはいい間違いだ!」
「あなたがこの間違いをしてくれたおかげで、みんなの勉強になった!」
と間違いを恐れず発言した学生を褒めるようにしています。
これを言い続けているクラスの学生は誰かの発話に私が首を傾げると、「いい間違いですか?」と聞いてくれるようになりました(苦笑)。
詳しい解説につながるような間違いを「これは素晴らしい間違い!」と言うと、学習者同士拍手が沸き起こることもあります。
そんな時は「でも、間違いは間違いだから、いいほうを覚えよう!」とクギをさして笑いが起こることも・・・。
伝え方は教師それぞれだと思いますが、間違えることは恥ずかしくない、むしろ勉強のきっかけになると学習者に実感してもらうこと。
これはどんな教科書を使っていても同じことで、まずはなんでも話せる雰囲気を作ることは何より大切なことだと思って授業をしています。
「誰が」「いつ」「どこで」「何を」しているか確認する
これはある程度経験のある先生なら、普通にやっていることかもしれませんが、新任の先生の授業を見た時にこういうのも大切なんだと気がついたので、書いてみます。
ある先生に「学習者が全然話してくれない」と相談を受け、授業を見に行ったことがあります。その先生は絵を見せて「何を話していますか?」と聞いていました。
でも、絵を見ただけで言葉がつらつらと出てくる学習者はよっぽど優秀な方だと思います。
今ならこんなアドバイスをしたいと思います。
まずは答えやすい質問で、場所や場面の確認をしましょう。
「ここはどこですか。」「誰と誰が話していますか。」「この人たちは何をしていますか。」「いつ話していますか。」
もし、これでも答えが出なければ、もっとクローズなYes・Noクエスチョンにしてもかまいません。
「ここは教室ですか。」「この人は勉強していますか。」
簡単な質問から、徐々にオープンな質問にしていきます。
クラスの雰囲気がかたい時には学習項目に関係のない話をしたっていいと思います。
絵の中にあるものについて、
「(絵の中に時計があれば)何時ですか?」、「これは何ですか。」、「この人は何を着ていますか?」
そこから徐々に学習項目の話題にもっていき、誰がいつどこで何について話しているかを全体に向けて確認をします。
それから、各絵の会話を考えていきます。
本当は絵を見て、考えながら会話を作るのが理想なのですが、なかなか出ないクラスの場合は、先にキーワードを拾っておきます。
例えば、「できる日本語初中級」( 黄色)の「第3課スモールトピック1」の会話であれば、
1の絵を指して、「何をしますか?」と聞きます。
ここで、「国に帰る」、「帰国」を確認。
2の絵にはすでに「専門学校」、「見学会」と書いてあるので、これについても
「パクさんは何をしますか」と聞けば、「専門学校に見学に行く」「オープンキャンパスに行く」などのキーワードが拾えます。
このようなキーワードを確認してから、「では、2人の会話を考えてみよう!」ともっていけば、突然「2人の会話を作ってください」というよりもはるかに話しやすいと思います。
それでも、会話がでないときは
本来は会話の全てを学習者に考えてもらいたいですが、発話しにくい話題の場合は、私が会話の相手役になることもあります。
言ってみようの導入が目的なので、できるだけ学習項目に関係ない役割を自分がしたほうがいいと思います。
あくまでも、学習者側に学習項目を自分で考えてもらいます。
例えば、「何を食べたいですか?」と聞かれて、問題文が聞き取れない限り、何を答えたらいいかわからない学習者はいません。
先ほど例にあげた「できる日本語初中級」の「第3課スモールトピック1」なら、私がパクさんになって、
「夏休みはどうするの?」
と聞いてみます。キーワードを確認した後なら、おそらく「国に帰る」とか「帰国したい」が出てくるのではないでしょうか?
教師に求められるもの
これはおしゃべり会で私の考えとしてお話ししたことです。
私は「みんなの日本語」と「できる日本語」の両方で新任の先生の授業を見て、それぞれに求められる能力が違うと感じています。
「みんなの日本語」は文型の分析をきっちりして、学習ポイントを把握しておかなければ、その課の学習目標と大きく外れた授業になってしまいます。
とにかく教師側の勉強が必要です。
ですが、そこさえきっちりしておけば、授業はできます。
「みん日」をやるときの「教師の力量」は「文型知識」が半分くらいを占める気がします。
「できる日本語」は文型の分析をそれほどしていなくても、学習項目を大きく外れることはありません(要らないとは言ってません!)し、授業の段取りも教科書通りにやればいいので、そこまで頓珍漢になることは少ないです。
教師がオリジナルの練習を増やしても、「みんなの日本語」ほど学習項目を外れていると感じることはありません。
ただ、「チャレンジ」での教師の「もって行き方」で、動機づけが変わり、学習効率がかなり変わると感じます。
「できる日本語」で求められる教師の力量は「日本語に関する知識」ではなく、「発問力」、「対話力」そして、「ファシリテーション能力」なのではないかと思います。
言語知識は動画教材などで勉強できるようになった時代。これからの日本語教師に求められる能力はこういうものなのではないでしょうか。
知識はあるに越したことはありませんが、極端な話全部動画でもいけちゃうわけですし・・・。
さて、こういうものをどう磨いていくか。
日本語教師の学びは続きますね。
*私はいつも「みん日」と「でき日」を比べちゃいいますが、私自身が元みん日ラバーで、ミラーさんは元彼で、他の文型積み上げの本はあまり知らないので、勘弁してください。
あと、偉そーに語ってますが、私も「できる日本語」勉強中ですので、あしからず。間違っていたら、やさしく教えてくださいね。