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「みん日じゃないと先生が集まらない」に答える
元「みん日」ラバーの私が、「みん日」に違和感を感じ始めたのは実は台湾から帰国して、初めて日本の教育機関で教え始めた時のこと。そこから、自分なりに考え、勉強し、やっぱりメインテキストを変えたいと口に出し始めてから約5年経ちました。
その間に転職もして、教える場所もいっしょに働く人たちも変わったのに、「みん日」問題には常に向き合い続けてきました。
これから、数回に分けて私が「みん日」に対する疑問を口にしたときに言われたこと、「みん日」から「でき日」に乗り換えると言ったときに同僚から言われたことと、それに対する私の考えを書いてみようと思います。
今、「みん日」に違和感を感じつつ、本当に変えるべきかどうかに悩んでいる方や、「変えたいのに、周りを説得するのに苦労している」方の参考にしていただけるとうれしいです。
本日のテーマはこれです。
養成講座が「みん日」で実習をやっているのだから、「みん日を使っている学校」であり続けたほうが、教師募集をしやすいのでは?
コロナ以降、流れが変わりましたが、ここ数年私の勤める学校は常に教師不足に悩み続けてきました。
近くの日本語教師養成講座に頼み込んで、授業前後に学校紹介をさせてもらったり、養成講座で実習を担当させてほしいと頼んで、優秀な受講生を青田買いしようと試みたこともありました。その頃は養成講座も講師不足だったので、「概論担当を引き受けるから、実習もやらせてくれ」と交渉したこともあるくらいです。
本当に本当に本当に困っていたので、同僚から「養成講座の実習でみん日を使っているのに、みん日をやめたら、先生が集まらないかもよ?」と言われると、教育的な理想はふっとんで、ただただ教師不足への恐怖が「みん日」を使い続ける動機になってしまっていました。
その後、少し余裕ができて周辺校のメインテキストをリサーチして、「みん日」でない学校もあることを知りました。
そして、私の考え方が変わる出会いがあったのです。
ある勉強会で専業で非常勤をしている日本語教師と知り合いました。
その人の日本語教育に対する考え方を聞いていると、共感できて、勉強になることばかり。経験年数が長いとは言えないのに、ベテラン教師のようで、すごくいい先生だと感じました。その人に言われたのです。
「はやしさんみたいな人がいる学校で働きたいなー。でも、みん日なんですよね?みん日変えたら、呼んでほしい。」
ガツーーンとやられました。
この一言で、私の考えが180度変わりました。
みん日じゃないと、人が集まらないのじゃなくて、みん日だとこういういい教師を逃してしまうのでは?
みん日だから、新人や経験年数にあぐらをかいている人しか集まらないのでは?
新しい教科書に変えて、それをアピールすれば、向上心やチャレンジ精神のある先生にも来てもらえるかもしれない。
視界がパーっと開いた瞬間でした。
まさに目からうろこ。
恐怖は人の視野や思考の範囲を狭くしてしまいますね。
もしかすると、このnoteを書くのはちょっと時期が遅かったかもしれません。
コロナ以降、日本語教師の労働市場は一変しました。
コロナ前なら、同じように教師不足に悩んで、教科書を変える勇気が出ない学校があったと思われます。
そんな学校の採用担当者に「みん日じゃないと教えられない先生ばかり集まる学校でいいの?」と問いたいと思います。
でも、今は採用を控えている学校が多いです。
逆に言うと、初級のメインテキストは何か?はそれほど大きな問題じゃなくなっています。
いつ変えるの?
今でしょ⁉︎
今ですよ。
買い手市場の今こそ、ベテランの新しい教科書へのチャレンジ精神や向上心を試す余裕ができたのでは?と思います。
「みん日じゃないと、教えられない」じゃなくて、教科書関係なく、学生を見てくれる先生に集まってほしい。
コロナ禍が終わり、再び教師不足の時代が来ても(日本語学校にはたぶんもう来ないと思われますが、ほかの教育機関ではあるかも・・・)、採用担当のみなさん、忘れないでください。
「みん日を使っているから」と安心してきてくれる先生より、どんな教科書でも任せとけ!!という先生が来てくれる教育機関をめざしませんか?
というわけで、数年前の自分に言いたい。「みん日じゃないと、教師募集しても、人が集まらないかもよ?と言われたら、「みん日じゃないと教えられないって言う先生ばかり集まる学校でいいのか?」と言え!!