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ナショナリズムと都会と地方
始めに
今日知り合いの県議から本を貰ったので読んでみた。
その本は私の思想に近く、示唆に富む内容であった。考えが偏りそうなので冒頭を読んだ時点で以前より思っていた事と、私の中の哲学をここに記しておくことにした。
この国を良くするためには、都会へ出て働き、まるでロボットが集積するかのような労働集約型の都市を形成することが必ずしも正解になるわけではない。
マックス・ウェーバーは資本主義が帰結するところ「鉄の檻」理論を展開している。これによれば社会及びそこに依存する人々が合理性を求めたが故に主体性を無くしてしまうそうだ。
日本人が古来より持つ土地に由来したナショナリズム、地域でのコミュニティは国力の起源であり、それを失うことは大きな問題である。
今に始まった話ではない。昭和時代、田中総理大臣は都市への人口流出を問題視しており、国家の交通システムを改善して問題解決を図った経緯がある。
のちにこれは列島改造計画と名付けられるが、逆に都市への人口流出に歯止めがかけられない状況となってしまう。
さて、都会へ出たら何ができるだろうか?いくつか考えてみた。まず給料は圧倒的に良いだろう。あと男女の出逢いが豊富だ。さらに店や駅など、便利な施設がいつくもあり、暮らしやすく、経済的に豊かな環境である。
では貴方の心は豊かであるか?
よく人は目の前の損得勘定で行動を行いがちである。例えばアメリカのサンフランシスコ大地震の時や、中国の唐山地震の時、現地では大きな暴動や略奪が起きた。
中国ではことわざで「火事場泥棒」という言葉があるが、正しくこれは人の心理を顕著に表していることわざと言えるだろう。
しかしながら、この本によると日本には魏志倭人伝の頃から、損得勘定では行動することのない、義理人情や、耐え忍ぶ力強さがあったそうだ。
では、戦後の日本ではどうだろう。戦前よりも人生の選択肢が増え、より豊かな社会が実現されている。しかしその一方で古来より日本人の中にあったアイデンティティは失われつつあるのではないだろうか。
世界では今、中国とアメリカでの争いが今にも増して激化している。お互いが産業を発展させ、環境や隣国を一切度外視して自国の利益を追求してきた。
それに観念出来ないヨーロッパ諸国はSDGsと言った地球規模のルールを投げつけ、両者のエスカレートを抑えようとしている。
このような構図は日本にも置き換えることができる。
人生において、都会へと出て会社の富、なんのためか分からないが、ロボットのように頑張って働き、同じような仕事を毎日繰り返す人がいる。
一方で、自分の愛した土地や人のために、その地域や人間、伝統や先人の教えに誇りを持ち、それらを守りながら毎日働き続ける人がいる。
ここで経済学的な観点から、どちらがより付加価値のある生産活動が出来ているか(それはもちろん国のGDPへと繋がる)みてみよう。
労働集約的な都市社会をより一層強化して、産業を発展させるのもよし。地方分権を強めて地域や伝統にフォーカスし、日本らしい産業を発展させるのもよしだ。どちらがより高い価値を生み出せるかはあえて読者の方に考えを委ねたいと思う。
次にQOLの観点から見つめてみよう。都会で朝から晩まで人の多いところでロボットのように働き詰めになる。
家の周りは住宅だらけだが、店や駅は割と近く、生活することに不便はないといった暮らしが一つ。
地域では毎日が割と自然に囲まれた中での暮らしで、都会よりサービスが少なく不便な点もあるが、食や空気、伝統文化が盛んで、地域付き合いなど人の温かみを感じることのできる暮らしがもう一つ。
どちらがよりQOLが高く、日本人らしい暮らしだろうか?
日本人が日本人らしくない生活をすれば歪みが生まれることは歴史が証明している。実際明治までの1800年間、日本の農村部はそれなりに豊かな暮らしを営んでいたという。(当時の農民基準)
もう一度歴史を見つめ直して考えて欲しい。
そして、どちらが貴方らしい暮らし当てはまるだろうか?もちろん二極に分けて考える必要はないし強要するわけではない。
筆者は地域を見つめ直し、地域に埋もれているあらゆる価値あるものを発信し続けて「地方の産業」を発展させ、日本をボトムアップする方がより刺激的でよりクリエイティブな人生になると考えていて今を生きている。
日本らしさを失い(ここでは戦後GHQの話は割愛する)産業国家としてこれから立ち直るか、日本らしさを取り戻し、日本人らしく心の豊かさを追い続けるか、はたまた両方なのか。
貴方の意見をお聞かせ願いたい。
『参考文献、黄文雄 日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』