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「がんばっていきまっしょい」聖地三津はマニアックな場所!? しょい民オフ会計画

(2025/1/16 追加編集)

前回の記事

前回は興居島(ごごしま)について記事を書いた。
すっかり頭から抜け落ちていたのだが、この島、松山市民以外には読みにくいとの指摘をいただいた。小さいころから自然と読めていたので、まさかそこを見落とすとは自分でも思わなかった。こういったご指摘や気づきは自分にはとても有難いものである。

今回の記事はコメントであった「三津への観光自体がマニアック」という内容から派生した記事だ。「なんやって、聞き捨てならん!」と言いたいところだが、まったく否定できないのが悲しいところである。

三津の観光資源とは

三津の一番の観光資源はやはり歴史だろう。伊予の玄関口であり、参勤交代に向かうお殿様はここから江戸に向かった。この歴史から、商人や廻船(船を手配する仕事)で非常に栄え、その富豪たちが建てた古くからの建造物の一部が今でも残っている。三津の渡しもその歴史の中で育った交通である。

次に食事。皆様ご存じ三津浜焼きや、鯛めしが有名である。
三津浜焼きの名称を全国に知らしめただけでも、がんばっていきまっしょいに足を向けて寝られない。

・・・以上である。
本当にこれだけで説明できてしまう。それが三津地区だ。
松山市公式観光サイト

光を向けてくれた「がんばっていきまっしょい」

この町は本当に知る人ぞ知る、という町だ。歴史があるとはいえ、竹原のようなまとまった区画は無く、普通の住宅街の中にいきなり蔵や古民家が現れるような街である。
そういったロケーションが好みであれば、とても刺さる町ではあるかもしれない。興味がない人にとっては、まず知る機会のない町だろう。
そんな町にとって「がんばっていきまっしょい」は救世主のような存在になるのか。
「これが渡し船か~!」と声をあげながら往復する人が以前より増えた気がする。松山市民だって、映画を見て気になってやってきた人も多いようだ。

旧石崎汽船本社。三津の海岸線は埋立で徐々に広がっていった結果、大正時代にこの場所に建てられた。

話は感想会まで戻る

そんな三津で「がんばっていきまっしょい」のオフ会をしよう、という話が有志の感想会で持ち上がった。
その感想会以前に、個人的にそういうの出来たら面白いな、と思っていたので渡りに船の話だった。
しかし、自分は長く三津に住んでいながら、複数人を集められるような場所に心あたりがなかった。さらに、今までオフ会ような試みに参加するどころか、運営する側に回ったこともない。手探りからのスタートであった。

「老舗漁業のイモッチの家をイメージした場所」

三津で集まりができる場所、を調べていくと「旧鈴木邸」という所がヒットした。古民家を改修したカフェである。レンタルスペースもあると書かれていた。
実は、借りられる場所を探していた時、劇中にあった会話が頭にあって歴史的建造物がいいなとは思っていた。
「イモッチの実家は老舗漁業の家である」
昔から三津に古民家や蔵があるのは知っていたが、まさか借りられるとは思っていなかった。イモッチの実家は高浜方面なので、実際には隣の地区だが、自分のイメージにはピッタリだった。

しかし、サイトの更新もしばらくされておらず、まだ同じ内容で借りられるかは不明だった。ここがダメなら赤煉瓦にお願いしようか・・・と考えていたくらいである。

今回訪れる「旧鈴木邸」と「旧木村邸」は三津の渡しに近いところにある。

旧鈴木邸を訪れる

がんばっていきまっしょいの鑑賞以降、カフェに入るのにすっかり抵抗が無くなっていたのが有難かった。先日訪れた際は休日だったが、今日は暖簾がかかっていた。→旧鈴木邸インスタグラム

旧鈴木邸。中はカフェとなっている。二階が宿泊とレンタルスペースを兼ねた場所で8畳ほどあると言っていた。

中に入ると奥様とマスターが出迎えてくれる。雰囲気の良い、よくできた古民家カフェだと思った。メニューはおはぎとほうじ茶が中心で、店内にはお茶の良い香りが漂う。自分は奥の座敷に通された。

おはぎパフェとほうじ茶。少し肌寒かったが、温かいお茶と冷たいパフェの組み合わせが個人的に最高だった。

食べ終わり、聖地巡礼中の休憩でも使えそうだな、と思っていたところ「今日はどちらから?」奥様が話しかけてきた。
三津の人間である事を伝えた後、「このお店を調べたらレンタルスペースについて書かれていた」「がんばっていきまっしょいを観た人たちが、三津で集まれるところを探していた」「人数は決まっていないが、箱の規模だけ確認しに来た」と伝えた。

奥から出てきたマスターが「少人数ならウチで良いやろうね。4人くらいなら普通にお茶もできるし。もっと大がかりなら木村邸を使うといい。」と教えてくれた。
木村邸もレンタルスペースの候補に挙げていたが、ここもサイトの更新が止まっており、後回しにしていることを伝えた。
すると「あそこもウチがボランティアで管理しているから、ウチに言えば鍵を貸すよ。まあいろいろ条件はあるけど、雨戸閉めに行くついでに今から見に行くかい?」と言われたので、お願いすることにした。

木村邸

旧鈴木邸から歩いて、細い路地を抜けたところに木村邸がある。
明治時代に建てられた建物だが、江戸時代の様式を残している。当時相当のお金持ちが建てたと言われており、装飾も繊細に作り込まれていた。

木村邸外観。たまに大学の学生がカフェを開いたり、管理者のオーナーがマルシェを開いたりする。

建物は定期的に開放しないと朽ちていく。中の空気を入れ替えるには戸をあけ放ち、人が活動しなければならない。そういう意味で貸し出しを行っているという。借りる際の条件はレンタル料+使用前後の清掃と雨戸の戸締り、歴史的建造物なので丁寧に扱う事だ。

木村邸の内部。ボランティアやマルシェなどの売上金で維持されている。

中は仕切りが取り除かれ、大きなワンフロアとなっている。間仕切りは建物が傾いているため入れることができないのだ。
確かにここならかなりの人数が入るだろう。ただ、「こんなに人は集められんよなぁ」と心の中では思っていた。
多くの人の熱意で、この文化財である建物は奇麗な状態が保たれている。

歴史は地域の住民で紡がれる

この木村邸も旧鈴木邸も、かつて取り壊しの危機に遭遇している。
「この歴史的建造物を無くしてなるものか」という地域の方々の思いで、今も存続することができているという。旧鈴木邸は奥様が「自分が買えるなら」と購入して今も残っている。維持費や修繕費は当時全く考えずに、建物を残したいという思いだけだったそうだ。
おはぎカフェ「旧鈴木邸CHAYA」を開業したのもここ数年のことであり、並行して木村邸を維持するのは大変だが、頑張ってやっていくとおっしゃっていた。

このような努力で維持されている建物が、普段の何気ない三津の風景を支えていたと思うと、自分の無知に少し申し訳ない気持ちになった。
特に何かできる訳ではないが、ここにも小さな「がんばっていきまっしょい」があるのだなぁと思った。ここでの紹介と定期的に通うことで応援としたい。

旧鈴木邸の奥様もがんばっていきまっしょいの映画をご存じだった。

人柄に助けられている

お店に戻る前後で詳細な条件を話し合った。「実施されるか分からないけど」と保険を掛ける自分に「ぜひ、話を聞いただけで良い会だと思いました。ぜひやってほしいです」と声をかけてくださった。
ここ最近、赤煉瓦だったり、旧鈴木邸だったりで出会う方々の人柄に助けられている。よく「しょいの輪は暖かい輪である」と自分が言うが、それを体現する出来事が起きている。
もし、しょいのオフ会があるのならば、「暖かい輪」を広げられるような会にしたい。

「がんばっていきまっしょい」しょい民オフ会計画

さて、長くなったが表題の内容のとおりである。
改めてこの計画は、自分単独の計画ではなく、Xの相互フォロワーのNight氏(本人X)が感想会の中で発言したものに、自分が乗りかかった形である。

なので、自分の活動は、Night氏の計画方針と異なる場合がある。
(例えば知り合いや身内しか呼ばないとか、選んだメンバーしか参加できないとか)
今後そこら辺のすり合わせがあると思うが、当然Night氏単独の企画となる場合もある。

この記事を見て「参加したい」「興味がある」という方がどのくらいいるのか不明だが、企画の参考のため興味がある方はリプやDMなどで連絡をいただきたい。大体の参加候補者を把握したいのだ。
参加条件は特に無い。オープンな会がいいなと思っているが、「がんばっていきまっしょいが好き」「三津まで来られること」くらいだろうか。

時期としては来年2~3月ごろを予定していると聞いている。
実は、木村邸は空調設備がないので、真冬の使用を避けるように言われている。借りられないことは無いが、「物理的に冷たいしょい民の輪」が完成する可能性がある。
続報や詳細な内容については続報を待って欲しい。

今日はここまで

今回の記事はここまでである。
マニアックだと思われている三津の観光。県外からはたどり着くまでのハードルの高さもあると思う。せっかく来たからには、少しでも三津の良い場所を知ってほしいとこの記事を書いた。
三津の歴史が垣間見れる貴重な建物である。長い歴史に思いを馳せながらゆっくりと時間を過ごしていただきたい。(営業日はインスタグラムで随時更新)

お疲れさまでした。


おまけ

今日は仕事だったのだが、生きがけに護衛艦のマストを見つけて今日が一般公開なのを思い出した。

きりクラスの特徴的な2本マスト

この日常の風景に突如現れる「くろがねの浮かべる城」に胸が躍るのは私だけだろうか。このフネも艦齢30年超えなのでそろそろ除籍だろう。また、先の掃海艇の捜索に当たったことから船体は錆びており、余計に老齢に見えた。
一般公開で、ここまで手入れされずに公開されるのは、一昔前では珍しかった。今は業務負担軽減策の一つで、塗装は重視されなくなっているのかもしれない。
この類のフネにはどちらかというと悪い思い出の方が多いのだが、自分が青春を過ごした場所として、なぜか足を運びたくなる。

そういえば、自分は競技用ボートには乗ったことは無いが、おなじ楷(かい)を用いる乗り物「カッター」の訓練をした経験はある。真夏に手の皮がでろでろになるまで、来る日も来る日も、怒鳴られながら漕ぐのである。人によっては尻の皮がはげるが、自分は「3段漕ぎ」で回避した。
しょいを見ても、その時の記憶がフラッシュバックしないので、しょいのボートは別物だと脳が認識しているのだろう。

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