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「がんばっていきまっしょい」の主人公たちの「家」の話 / 松山市への謝罪と感謝

前回の記事

前回は「伊予の酒造り唄」をテーマに、話題を広げてみた。内容がマニアックで読者を選ぶために反応が薄かった(と思っている)。内容もだいぶ薄かったのではないかと思う。

今回は原点に戻って「主人公たちの家」をテーマに書いていきたい。といっても前回同様だいぶ薄い内容になるのは承知いただきたい。なぜなら主人公たちの家のモデルは明確ではないからで、筆者独自の推測も多く含まれる。
それでも興味があれば読んでいただきたい。

劇中に出てくる建物はモデル通りか、そうじゃないかの2択

がんばっていきまっしょい劇中に出てくる背景のほとんどには、モデルがある。ソフトタイム、赤煉瓦、ブエナビスタなどは外観も名前もそのままで、実在するところが採用されている。
逆に、悦ネエが寄ったゲームセンターや、スポーツ店はモデルはあっても明確にここだ、と言える場所がない。
ここはエンディングクレジットに名前があるかどうかで判別できる。
名前がない限り許可の取れていない無関係の施設である。特に民家はほかの情報源で書かれているから、とむやみやたらに近づいたり、撮影したりは控えていただきたい。

悦ネエとヒメの家


悦ネエとヒメが待ち合わせをする辻井戸。

悦ネエの家は、三津浜地区の商店街付近にあると思われる。
その商店街の中にある小さな井戸。それが辻井戸で、悦ネエとヒメはここで待ち合わせをして、学校に向かう。悦ネエがやってくるのは、三津浜図書館のある方向からだ。

悦ネエの家は写真館である、と本人が口にしている。三津に写真館はあるが外観は全く違う。
どうやら実家が写真館という設定は、原作+イージーオールのリスペクトらしい。
ヒメの家も「三津小のヒメ」の話題から、商店街周辺のそう遠くない所にあると思われる。二人は電車通学をしていたが、東高ならこの付近でも自転車通学を選択する家庭は多い。

リーの家

リーも劇中では明確な家の描写はない。ただし、部活の自主練期間中の描写がヒントだと思われる。

雨の中リーはこの踏切前に立っていた。

上記の画像は、リーが雨の中立っていた踏切の画像である。場所は松山北高の正門周辺で、東高とは少し離れている。単に通学路を描くだけなら、もう少し近い場所でもよさそうだが、あえてこの場所を選んだのにも意図があるのか。放課後、リーが赤煉瓦にバイトに行くのに、この場所にいるのは不自然であるので帰り道と解釈するのが適当だろう。

ダッコとイモッチの家

イモッチがダッコの意図に気づいた場面の背景。

イモッチとダッコの帰り道の描写は非常に多い。おそらく艇庫に寄った後、ブエナビスタ横から出てきたものと思われる。線路沿いの道を歩いていた。

高浜公民館から、梅津寺方面へ向かう。


部員がトレーニングで使っていた道と帰り道が同じである。

さてここから、梅津寺駅横の踏切を通過して、二人は家に向かうわけだが、その先は行き止まりである。上記の画像を直進していくと、入り江がありそこが終点なのである。
ダッコの家はお城のような住宅という描写だったが、そのような建築物はこの道近辺には見当たらない。描写にこだわる監督のことだろうから、きっとどこかから外観だけ借りてきたのだろうと思う。

今日はここまで

今回の記事はここまでである。
書いてみると中々の内容の薄さであった。ちなみにこの中で特定するのに少し苦労したのはリーの帰り道である。一瞬の描写かつ、後ろの学校のような建物で特定しようとしたためである。
記憶頼みで大まかな位置は推定できるが、ポイントの特定には当初至らなかった。最終的なヒントは「後方の自販機」であった。時間があればどう特定したか考えてみてほしい。


松山市への謝罪と感謝

映画の先行上映終了時、とある出来事がありました。
上映後の監督と雨宮さんトーク会へのゲストとして、松山副市長が呼ばれました。「なぜ副市長?」と思いましたが、作品の上映が終わり、トークも佳境であり盛り上がっていた会場にいた自分にとっては些細な事でありました。
そして副市長がコメントを発したのですが、内容を要約すると「景色がキレイで感動した。この会場で見ていない人は見てほしい」という旨の発言でした。
私は「会場の状況を把握してないし、コメントも判を押したような内容。制作サイドの目の前で失礼じゃないか?」と感じました。「松山市はやる気あるのか?がんばっていきまっしょいにどれだけ飯食わしてもらっているんだ」「認識が薄い、無い」とさえ思いましたし、そういった内容をポストにも書き込みました。

Xに投稿した内容。現在は削除済。


Xに投稿した内容。現在は削除済。


しかし、聖地巡礼マップを作っていると、各所で「役所がきて」という話を耳にするようになりました。建物をまず訪ねて歩いたのは製作サイドではなく、「松山市」サイドなのでした。
協力を取り付けるための交渉、その後の資料提供。松山市が裏で動いていたからこそ、リアルな地元の風景がスクリーンで実現したのです。

「俺は松山市ももう少しやる気出してもよかったのでは?」「認識が薄い、無い」という発言を撤回し謝罪します。
松山市の働きがなければ、東高の内外が詳細なモデルで再現されることもなかったかもしれません。名前も全く違う市町村になり、架空の場所だらけになっていたかもしれません。
広報まつやまでは特集を組まれてましたし、夜間に特集番組も流していました。松山市ができる精一杯を目にし、自分の認識の甘さを痛感するばかりです。

生まれ育った土地を全国に発信するチャンスを精一杯生かしていただきありがとうございました。また、私の地元を聖地にしていただいて本当に感謝しています。この作品が松山で、三津で愛され続けることを願っています。

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