「しかってしまった」
子供にしかってしまった。って思う原因ってなんだろう。
イヤな言い方。
子供に向き合ってるのに。
責任感や愛情があればあるほど、
子供を危険から守りたかったり、
良くない生活リズムにしたくなかったり、
体に悪そうな食べ物をすすめたくなかったり。
強くて大きな気持ちになって、
言い方が強制的のような強いニュアンスになる。
「そっちじゃなくて、こっちなの、こういう理由で、これがいいの!」
親は子供を思う気持ちなのに、
子供はいやなものを押し付けられてるようになってしまう気がして、
悲しい。
子供って、リアルに何万回、同じことを伝えないといけない。
確認、うながし、注意、お願い、いろいろ。
愛情あってこそ、耐えられることだと思います。
そして、時には「何回も言ってるでしょ!」となります。
世の中のお父さん、お母さんは、みんな、こんな風なことに疲れてるんじゃないかって思います。
だから私は、子供にしかっているお母さんを街で見かけるとこう思います、
『お疲れ様です。お母さんがんばってるね。お母さんが子供に今伝えたいこと、お母さんは今すごく疲れているだろうから、私が変わって伝えてあげたい。疲れてるお母さんの代わりに1回、やさしく他人の私が子供に言えば、子供も他人から言われたことで、その場は早く良くなるかもしれないし。だけど、他人から口出しされたら、お母さんはもっと悲しくなるだろうから言わずにおこう。わかる、わかるよ、お母さん、ほんとにお疲れ様です。』
・・・。
私は誰かに言われたい、
「がんばってるね、子供にはきっと何か伝わってるはずだよ。大丈夫。自分を責めないでいいんだよ。うまくできない事だってあるよ。何回もがんばったじゃない。がんばったほうだよ。えらいよ。頭つかれちゃうから、楽しいこと考えれたらいいよね。うれしくなってほしいな。あなたが疲れて落ち込むのは違うよ。今日も、がんばったんだよ、見捨てたくないから寄り添って一緒に苦しんでるんだよ。落ち込むのはちがうよ。大丈夫だよ。落ち着いて。大丈夫。」
世の中のしかり疲れたお母さん、お父さんにも、言ってあげたい。
耐えられなくなった自分の感情が出たとき、
「しかってしまった。」っていう表現になるんだと思う。
自発的にできると子供を信じられるような、我慢と余裕と信頼を持つ。これが自分の課題だと、いつも思う。
注意、準備、子供中心、自分は後回し。
頭をあちらこちらにめぐらせる日々が続くよゆうのなさ。
信じて待てない、片付く気配のない現実。
あとは、何事もスムーズになる部屋づくりが課題。
山積み。
「一緒にやろう、私も一緒にいるから。できるよ。」という寄り添いが、私は欲しいです。
だから、子供もそういう寄り添いが必要で、子供のパワーになるんだと思う。
子供にいつも、そう言える自分になりたい。
きっと大事なキーワードだ。違うかな?
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