2人目誕生
東京に1人残り単身赴任に勤しんでいる理由は2人目の出産だったわけだが、ついにその日を迎えた。
在宅勤務が続く中、自宅での仕事を終え、洗い物でもと思っていた所に嫁から「今破水した」と連絡があった。
慌てて荷物の整理をしだすのだが、その日が週末であることを考えると退院の火曜日まで約1週間関西に留まる準備が必要になる。しかも「上の子と一緒に過ごすためには嫁の実家に泊まることになるな」であるとか「月曜日はあの会議があるから在宅ではなく淀屋橋へ出社するのでスーツと靴がいるな」であったりと色々考え出すとRIMOAのキャリーバックがパンパンになった。我ながら絶妙なパッケージ技術でなんとかやりくりしてジッパーを閉めることに成功した。これはひとえにドラクエビルダーズで鍛えた整地術の賜物である。
緊急事態宣言下では出産時も入院時も誰も立ち会い不可という厳戒態勢だったが、宣言解除後、旦那だけは立ち会い可能となった。果たして間に合うだろうか。思い返せば上の子の時は深夜から嫁が入院し、何度も連絡をもらっていたが気付いたのは朝目覚めてからだった。そこから昼過ぎまでかかり、分娩室では嫁の妹と共に立ち会った。2人目は早いという話を頻繁に耳にしており、昨日までは嫁が1人目の時より大変な思いをしなくていいなと前向きに捉えていたが、いざとなると間に合わなかったらどうしようと焦ってくる。
東京駅は少し前に比べると客足がだいぶ戻ってきた印象だ。新幹線の中では焦る気持ちを抑えるためにもPCを開いて仕事をしているとあっという間に新大阪に到着。病院へ向かうタクシーに急いで乗り込もうとしていた時に嫁から「落ち着いてしまって今日は無いのでまた明日来て下さい」と連絡が入り気が抜けてしまう。
仕切り直しの次の日、病院まで近い自宅に滞在しているため、在宅勤務しながら待機していると、いよいよ分娩室に入ると連絡があった。すぐに病院へ駆けつけて、分娩室に入る。嫁にお茶買ってきてと言われたので長期戦に備えて2Lのペットボトルを買ってくるも、出産用に寝転がりながらでもストローで飲めるツールを持参してきており、500mlが適量だった様である。そういえば1人目の時もそうだったなと思い出す。出産後もおそらくこの「そういえば1人目の時もそうだったな」のオンパレードなんだろう。
何度目かの「診察をするから旦那さんは外で待っててください」の後、突然分娩室へ呼び戻されると明らかに助産婦さんの人数が増えており、主治医らしき人物も登場し、何より嫁のお腹に厚手のシートが被せられ苦しい声を上げていた。誰がどう見ても明らかに臨戦態勢に入ったのである。しかし突然だったな。もう少し前兆らしきものがないのかしら。
小生には苦しそうな嫁の手を握りながら頑張れと声をかけることしかできない。無力さを痛感していると、助産師さん達のテンションが一気に上がっていき、嫁の声も一層苦しそうになっていった。そしてついにとても元気な産声が聞こえた。元気に泣き続けているし1人目の時と違って早速目を見開いてこちらを見つめている。産まれてきた瞬間、あれだけ苦しそうな声を上げていた嫁から微笑みがこぼれた瞬間が今も脳裏に焼き付いている。
1人目の時同様、出産の時の気持ちをピッタリと写し出してくれているこの歌を胸に、嫁に感謝し、娘の幸せな人生を祈ろう。
体張ってくれた嫁には頭がこの先一生上がらない。男は無力で気持ちだけ。女は強くて命懸け。