感情と価値観と形容詞
先日、noteに「美味しい」という単語について、考えた。「美しい」は多種多様な意味が含まれている単語である。それが自分の結論だった。
じゃあ、それは他の言葉も一緒なんじゃないか。そう思うようになった。きっかけは、ふと思い出した尊敬する人の「優しい」という言葉。
「おばおがそんなに優しくなったきっかけはなに?」
その言葉を思い出すきっかけは、
「おばおって底なしに優しいよね」
自分で言うのもなんだが、「優しい」と言う言葉で褒めてくれることが多い。
「優しい」という言葉の中には、「思いやり」と「寛容さ」があると思う。これは、何かを与えるの量や質、受け止められるの許容範囲ということだと思う。もちろん、それ以外にもあるかも知れないが...
「美味しい」「優しい」これに共通するもの、考え抜いた結果。それは形容詞であること。
形容詞とは、物や事の性質、状態を表す。また、日本語においては「きれいだ」「すてきだ」などの形容動詞も似たようなものである。
これらは、人の感情、価値観を表現する言葉であると思う。物や事の性質、状態を判断するもの、それは感情であったり、自分の中の基準、つまり価値観である。
自己の中にある基準があるからこそ、感情が昂り、形容詞として言葉になる。また、負の感情も同様である。
自分の基準よりプラスにいくから、褒める。マイナスにいくから、貶す。
日本語はたくさんの形容詞がある。さらに、一つの形容詞の中でもたくさんの意味がある。だから、素晴らしい。美しいと僕は思う。
また、自己の基準は人それぞれであり、マジョリティが正解ではない。
誰かが変なことをしていると思っていても、それをやる形容詞がその人の中にあり、感情の動きがあり、基準がある。それを理解することが多様性であり、貶してはならないと思った。そして、それを押し付けあうのも違うと思った今日この頃。