父と向き合う
父は岡山県真庭市で兼業農家の次男として生まれた。欲しいものはあまり買ってきてもらえなかった。自分と同じように野球をしていたらしい。高校は軟式野球だった。大学進学を希望していたが、祖父の反対で挫折し、就職し、辞めることなく働いていた。
30歳で結婚するまでは、ゆとりのある生活を送っていた。ゴルフしたり、野球したり、貯金もしたり。高校時代からとても人付き合いが良かったらしい。
結婚1年目で、長男、その2年後に自分が生まれた。外食が好きだったので、家族全員でお店に行き、店員さんに僕らは可愛がられていたらしい。
よく公園にも連れて行ってくれていたらしい。確かに記憶がある。ちょっと遠くてもデカい公園に連れて行ってくれたり、家族旅行に連れて行ってくれていた。写真がたくさんある。
ある日を境に、家族間がちょっと仲悪くなった。小学生1年から5年まではあまり良くなかった。でも、自分が学校をズル休みした時には焼肉にこっそり連れて行ってくれたり、遊びに連れて行ってくれた。
父がお酒の病気になったのは小学生5年生くらいだろう。その頃から、家族がまた仲良くなった。色々あって、兄とは数年離れて暮らしたが、、、
ソフトボールの試合には必ず来てくれた。仕事終わりに練習にも付き合ってくれた。めちゃくちゃいい親父だった。月一は外食に連れてってくれた。
中学で硬式野球をしたいと言った私には反対した。やらせてあげたかったが、親の負担、お金がかかりすぎる。でも、父は色々させてあげたかったらしい。
高校受験の合格は父と一緒に見に行った。合格して泣いていると父も泣いていた。涙脆かったな。普通科進学も反対してたな。国立いくとまでは思ってなかったんだろうな。
高校三年生の時、奨学金の話をしたら、実は入学した時から貯金してくれていて、4年間の学費を頑張って貯めてくれたらしい。カッコ良すぎた。
大学進学後、同じ家に暮らしながらも、生活リズムは合わず、あまり話す機会、会う機会は無くなった気がする。でも、仲良かった。
自分がタバコ吸い始めた時に、何吸ってるのか聞いてきた。父の死後、母が言うには、タバコは吸わないで欲しかったらしい。今は父と同じタバコを吸っている。辞められるもんか。銘柄を変えるもんか。唯一繋がれている瞬間だから。
いつからだろう。父が酒に溺れたのは。予測するに、家族の中が少し悪くなってからかな。仲良くなってからも、辞めれなかったな。仕事がうまくいってなかったのかな。あの頃から人間関係で悩んでいたらしい。でも、仕事辞めれないよな。家族いるもんな。
家族のこと大好きな父親だった。あんな親父に俺はなりたい。結婚できるか分からんけど。自分ができなかったことは、やらせてあげたい。でも本人の意思は尊重する。そんな親父だった。理想だ。
今までの過去を振り返ると、親父が俺のことを恨んでいるわけがないか。今後夢に出てきても、朝しんどくなることはないかな。後悔は一生付き合わないといけないと思う。でも、乗り越えられそう。愛を再認識することができた。
今度実家に帰ったら仏壇に「ごめん」じゃなくて、心から「ありがとう」を言おう。