生きているうちに評価される人、いなくなってから評価される人
徳のある人間になりたい。
日々頑張る中でそう思うようになった。
サークルの同期に徳の塊みたいな人がいる。その人に憧れているし、尊敬している。あんな行動ができる人間になりたいと思う。
徳がある人物、誰が思い浮かぶだろうか。
自分が1番最初に思い浮かぶのは大谷翔平。
徳がある人物、それは生きているうちに評価される人だと思う。尊敬され、誰かの憧れとなる。
一方で、徳がない人物、これは2パターンあると思う。死んでから、評価される人。死んでもなお評価されない人。
ある友人に、「徳がある人物になりたい」と伝えた。
その友人は、居酒屋の店長は徳があると感じる。だけど、別のバイトの以前の店長は、異動してから、徳がある人物だと気づいたと言った。
前者が生きているうちに評価される人、後者がいなくなってから評価される人だと思う。
自分は果たして、生きてるうちに評価される人になるのだろうか。
話が逸れるが、自分の死生観として
「死ぬほど豪華な葬式」
をあげることが理想の最後だ。
人生の中で、人が集まる時は「結婚式」「葬式」だと思ってる。ただ、人生そのものの評価が現れるのは葬式だと思う。
その人がどんな人生を歩んできたのか。どんな人間関係を構築してきたのか。何を成し遂げたのか。何を後世に残せたのか。
それらを評価する場所であると思う。
それは、生きているうちから評価を得たいというのはまた話が違う気がする。いなくなってから評価されるということの方が近い気がする。
21年生きて、何度か葬式を見てきた。
自分の理想の葬式を何度か見たし、少し寂しいものも見た。
自分は徳がある人間とは言い難い。心の底からなりたいと思っているが、過去の行動を省みると、そうじゃないし、今もできてるとは言い難い。
じゃあ、少し気を緩めて、いなくなってから評価される人生を目指してみようかっていうお話でした。