権威的なものに抗いたい
好きという感情。それを否定されるってとても不快になる。逆に、自分の好きという感情を押し殺す行為もできるだけ避けたい。
権威的な存在の評価によって、それが正しいと思ってしまう。
アート、音楽、映画、本、食べ物...
ルーブル美術館に置かれている絵だから素晴らしい。ベネチアっていうよく分からない場所で認められた映画だから素晴らしい。芥川賞だから素晴らしい。ミシュランが認めたから素晴らしい。
知識、教養として触れてみる。その結果自分の好きと合致する。それは素敵なことだ。
ただ、権威的な存在が認めたから正しいわけではない。好きにならないといけない、自分の持っている価値観を矯正しないというわけではない。
そのような風潮が強いように感じる。
権威的に認められているものを好きだと言っている自分が好きという価値観で好きと言っているなら、その価値観も認めなければならないのかもしれない。ただ、それは対象に敬意を払ってない。その対象を好きというわけではない。そう思ってしまう。
あなたの嫌いは誰かの好きかもしれない。あなたの嫌いなラーメン屋さん、潰れてないってことは好きな人がいるってこと。仮に潰れたとしても、ただ多数であるだけで、少数が間違っていることなんてない。好きという感情に素直に従ってる。それが素晴らしい。ビジネスとして失敗したとしても、人間として素晴らしい。
小手先の技術だけじゃなく、感情にフォーカスして、その価値観を理解してあげられる世界になったらいいなと常々思う。
権威的なもの、技術的なもの、それらはとても重要だが、その奥にある核となる部分を褒められる人になりたい。その感情に素直に生きている人を応援したい。